書き手は著作物の管理などできない(ある意味)。

GREEの田中社長、見た目ださいなぁ、なんか。ジーンズに親指入れてるのに吹いた。けど、でも、正直ああいうタイプのひと…つまりあれだ、ひとりで全部カタチにしちゃうエネルギーを持った人っていうのには本当あこがれるんだよなあ。ああいうのを目指せたらいいだろうなぁ!とは思う。ほんと。でもweb2.0が過去のものって言えるほど凄まじい成果を出した偉い人なのかあんたは。成果を出してる時点で既にもう、なんだ、日本の上位一万分の一の部分に居る偉い人なんだろうな。何言ってんだ俺。へっ、気持ちの渦巻き。


さてさて!


[暴想: YouTubeを擁護している人のブログは、エントリー単位で自由にコピペして再配信してもいいんだと思う。]*1
http://java.cocolog-nifty.com/blog/2006/07/youtube_4977.html

ブログ全部じゃなくて、記事ごとだからいいでしょ。コピペ元を明示しなくてもいいんでしょ。さらに、さも自分が作ったコンテンツであるかのように見せてもいいのでしょう。その上に、広告を貼り付けて、勝手に儲けてもいいのでしょう。そのブログのオーナーから苦情がきてから、該当記事だけを削除すればいいのでしょう。
彼らの言っていることは、まとめるとそういうことだ。blog2.0だね。

まとめるとって…ちげーだろ。大事な視点が抜け落ちてると思う。とはいえ、この怒りの感情は確かに共感させられるところではある。


まず当然ながら、日本でYouTubeの利用はTV番組、すなわち「『よし見よう』といま思っても見られない映像」を中心に行われてる。この点でblogとは全く違う。この視点からすれば、TV番組はblogというよりはネットラジオの方が近い。Podcatsではなくネットラジオ、つまり基本的に一回こっきりで時間が選べないし評判がよかったから見たいなと思っても見ることができないもの。っていう指摘はいろんなとこでされてた。この視点は忘れちゃならねぇ。引用云々に関しては、個人的には屁理屈に見えるので感心しないのだけど。著作権を犯してるのは確かだと思う。

まぁ、このへんに関する議論は勝手に続くだろうし、いま考えてるのは別の話なのです。


と、ここまで書いて以前のエントリと同じこと書こうとしてることに気づいた。まぁ、いいか。同じ内容の再掲が効果的だって誰か書いてたような気がするし。だいいち前回の記事は長くてつまんなくて駄目だ。

[kercの日記 - 書き手と読み手、情報の管理や操作について。メロドラマ仕立て!]
http://d.hatena.ne.jp/kerc/20060703/1151890751

はてなブックマークを心地よく感じる理由のイチ要素として、「自分の読んだ記事や読もうかと思った記事をアーカイブした気分になれること」というのはあると思う。だからか俺は、自分が読んで笑ってはてブにクリップしたニャー速記事が読み返せなくなったときにイラッとしました。誰に対してイラッとしたのかはわからない。ただ、感覚としては「取ってきたR25を、まだ読んでないのに知らん間に家族が捨ててた」に近い。

これって別に、「まだ読んでない」必要ないね。とにかく勝手に捨てられた気分みたいな。


HDDレコーダーってあるけど、あれが実質要領無限大みたいになって、何十年分ものTV番組を全て網羅して保存できてしまうようになるとするじゃん。それを後になって見るのはokなんでしょ?blogなんかにしても、無理なんだけど、もしも全ての情報に目を通せて全て保存できたとしたら、それをあとで読み返すのことに誰も文句は言えないはず。

無料で配布されてる情報っていうのはさぁ、基本的に「無料で全部保存されてしまう可能性」があって、で、その保存された番組とか記事の管理について著作者は何にもタッチできない。

そういう現状で、いや現状は違うんだけどさ、まぁ俺は文脈上そういうのが現状だったとしたいじゃん、そしたらさ、結局のところ自分の著作物の流通に関して著作者はなんも力を持たないのではないかね、とか思う。


少なくともblogに関しては、一度読まれた場合はその情報の参照権は読者に移っちゃったと考えてしまったほうが現実的な解釈なんじゃなかろうか。YouTubeにしても、将来的に「全部保存可能」なレコーダーができてしまって全世帯に普及したら、保存された番組の流通をTV局が管理することなんてできない。これが我慢ならんとかいうのなら、録画は一回きりっていうのはやっぱりやめますとかそういう悠長なこと言ってないで、録画を一切禁じなきゃ矛盾しまくるんじゃないの。でもそんなことは無理なので、もーちょっとやわらかい姿勢でいろいろ工夫しないとイリーガルな力に潰されてしまうと思う。TV局自体が。

一番上で引用した記事につけたコメント:

調べてませんけど、フランス人はYouTubeなど使っていないのじゃないでしょうか。

ああいうの*2日本じゃ無理とか言わないで、竹中センセーがんばってよ。みたいな?


いま読み返したら非常に論点不明確で言いたいことがわからん!眠い。風呂入って寝よう。って同じようなことこないだも最後に書いて言い訳した気がする。老いたか。

*1:改行減らしたのは俺です

*2:これまでに放送したほぼ全てのTV番組のweb上再配布が始まったとか話題になったやつ。

手広くマメにやれば90点の女も落とせるよー!

アッー!
…しばらく放置してるうちに有料オプション切れてた。まじかー悲しいな。かなしい。


さて!


[BLOGさっちんこ: 彼女ができない童貞の人へ]
http://angel-line.seesaa.net/article/21462041.html

女のチョイスが間違っている!

好きな子を口説く方法ではなく、彼女を作る成功率のあげ方です。

こりゃもう同意。一番カワイイ子と45点の子が落としづらくて、30点と70点が落としやすい。そりゃそうだろうね。それはわかります。成功率をあげるというのも、本当にもう共感しちゃう。


中間層の計算高さは、安野モヨコが、ヤングマガジンで連載したマンガ『花とみつばち』の中で中沢チャン長沢チャンというキャラクターに乗せて非常に露骨に示してる。個人的な感覚でいえば、45点というか、40点から60点くらいの層ってイメージだけどさ。

そういうのを避けて(というかそういうのに惹かれる気持ちを抑えて)30点か70点を狙えとのことなんだけど、別に30点や70点に彼氏が居ない訳ではないのよね。っていうか行動しないままターゲッティングの段階で云々言ってるから恋人ができねーんだろう童貞は。まともな友達関係を気づいた後に告白した経験がある童貞なんてそう多くないだろ。


自分の気持ちをこーゆー理屈を通してちょこっと変えることによって成功率を高めるのはとても有効。でも、別の角度の話も大事と思うのね。ターゲッティングしたあとに、じゃあ、どうすんのか。

それは。

彼氏が居るコを狙う。マメにメールだの何だので連絡をとりつつ「一番仲のいい男友達」になりながら、彼氏と別れるのを待つ。


というのを、10人に対してやりましょう。保障するよ、絶対に半年以内に3人は彼氏と別れる。そしたら真っ先に連絡が来ます。あとはもう、非常に有利。

でも確かに、45点のコの場合はこの方法が有効じゃないかもしれない。っていうのは、一番仲のいい男友達になるのが難しいわけね。でも逆に、90点だの80点だののコの場合、キープ君づくりには力を入れてない傾向があるので、弱ってるところを真心でなぐさめればとっても高ポイントでございます。


しかしはてブのコメント欄(http://b.hatena.ne.jp/entry/http://angel-line.seesaa.net/article/21462041.html)での感想が、基本的に記事と同ベクトルのものしかなかったのには切なくなりました。ちょう受身っていうか、思いもよらない指摘を見たから妄信しちゃいましたみたいな。それじゃモテねーよそりゃ。ほんとに恋愛の仕方がわからん輩が多いのですね、はてなユーザって。と思ったかどうかは自分でもわかりません。


追記


あ!書き忘れてた。

10人も狙える女の子がいません、っていう場合は、服装それなりにして挙動不審にもならずに普段から生活してれば、レストランの店員さんでもレジ打ちの女の子でも飲み屋で隣り合わせたOLでも何でもいいので、軽く絡んで笑わせたあと「もしよかったら」つって名刺とか連絡先書いた紙でも渡してサッと切り上げるみたいな習慣を身につければ結構ターゲットを増やしていけるもんです。ナンパったって別にね、1分くらいなら緊張せずにやってみればいいじゃないか!

ナンパができなかろうと、とりあえず手ごろな点数の女のコと見れば全部をターゲットにしてしまえばいいと思います。でも周囲から痛い視線を受けないようにするにはそれなりの爽やかキャラとかが必要なのかも。

あーまとまらねー!書かなきゃよかったこんなエントリ!でも参考にしてくれたらうれしい。

書き手と読み手、情報の管理や操作について。メロドラマ仕立て!

ケーススタディとして、妄想をフル活用してはてなの中の人をキャスティングしたメロドラマ仕立ての具体例を書いてみた。欲求不満な奥さんとかは必見てかんじの、改心の出来だ。まだ書いてないけど。

jkondo君は、Temporary Internet Filesを1,000GBとかに設定してて、目にした情報は基本的にほとんどハードディスクに保存しちゃう。

naoya君は、ローカルのハードディスクに保存するなんていうダサいことはせずに、読んだ記事を全部はてなブックマークにクリップしてる。

reikonさんは、blogサービスが産まれる前からの日記作者で、犬の記事なんかを投稿してる。

reikonさんは過去に猫を虐待して実況記事を投稿したことがあって、そのころは匿名でやってて本名はさらしてなかったんだけど、それなりに話題になったから、パソコン大好きなjkondo君やnaoya君は偶然ふたりともその虐待記事を読んだ。

時は流れ、jkondo君やnaoya君やreikonさんは偶然遭遇する。jkondo君に惹かれたreikonさんは、過去を詮索されないようにと虐待記事を消した。その上でreikonさんは「昔からこんな日記サイト書いてるのー」と教えてjkondo君に犬好きをアピール。


ここで事件が。jkondo君は、な、なんと。「あれ?キャッシュがある。昔reikonさんの日記を読んだことがあるのかな、運命を感じるなぁ。」キャッシュを確認してびっくり、記憶の隅に残っている虐待記事じゃないか。「な、なんだってー。reikonさんが、よりによってあの実況をしてたひとだったなんて。」

naoya君は、日記を見てて記事の量にうんざり。いつもブロガーに会う前にやっているように、付け焼刃式の話を合わせるテクニックに従い、「http://d.hatena.ne.jp/reikon以下の人気エントリーを見る」ことにした。もちろんトップにくるのは猫虐待の実況。ただ、そこはreikonさんも抜かりない。運良くはてブのコメント欄には『[ネタ][実況][これはひどい]風呂に入れてる』とか『[たぶん][釣り]妙に写真がリアルだなぁ』くらいしか書いていないから内容は類推できないし、タイトルや要約は別アカウントを取って書き換えておいた。さらにreikonさんには都合よく、naoya君はこの時期ちょうど自分のクリップにコメントやタグをつけるのを怠けていたから内容がわからない。「あれっ、昔クリップしてるけど何だったっけ。タイトルは「お風呂はきもちいいです」かぁ。くそう気になるなぁ。まぁいいや、他の記事読むか。わぁ、犬好きな優しいひとなんだなぁ。」


jkondo君は「まぁどうでもいいや」ということで、reikonさんに「結婚しようYO」と言ってみるテスト。naoya君は状況をよく知らないままreikonさんに好意を抱くも、蚊帳の外。「一体どんな記事だったのかなぁー。」


閑話休題


[煩悩是道場 - ブログの閉鎖は自由である]

http://d.hatena.ne.jp/ululun/20060702/Weblog060702

を読んで、久しぶりのエントリを書く気になった。というか、コメントしようかと思ったんだけど文脈とか視点の角度が違うのでトラックバックにしたよ、みたいな。どちらかというと、書き手でなく読み手からの立場から普段かんがえてみてること。

閉鎖した結果としてアーカイブスとしてのトラックバック記事やコメントなどが閲覧出来なくなるという事はサイト運営者であれば誰でも考える事ではあるが、自らの手によってその死を宣告する自由を誰が奪う事が出来ると言うのであろうか。

トラックバックやコメントといった他人に著作権があるものに限らず、自分の記事だからといって自由に消せるのか。いやぁまぁ、消せるものであってほしいけどね書き手としては。しかし読み手からすれば、有益なblogであればあるほど、勝手気ままに消えてくれると結構不便だ。

たびたび思うのが、知る権利に対してプライバシー問題や著作権はどのように存在しているのかということ。まぁ、長年のテーマなのかもしれないけど、blogとかまとめサイト、あとは(極少数の)情報として有用なmixi日記といったものが目に付くにつれて、ある情報に関して、この情報は「自分が持っている情報」であるのかどうかが判断しづらくなってきた。


「自分が持っている情報」というものの定義は難しいよーに思う。情報がモノ媒体の情報でなく電子情報になることによって、「管理できる情報」や「接触を持てる情報」の量が明らかに変化してるので。知っているというのは、「認識したことがある」なのか「言われれば思い出せる」なのか「現在意識下にある」なのか、とか。

ちょっとズレるけど、個人的に俺は、「読むキッカケを得たことがあること」が、読み手側の意識にとって、「情報を所有している感覚」を発生させるのじゃないかなぁ、などと思ってる。[あとで読む]記事が消えてて結局読めなかったときになんとなく不快なのはこれじゃなかろうか。俺に限った話ね。


書き手からすれば、自分が書いた情報は管理したい。

読み手からすれば、自分が読んだ情報は管理したい。


[あとで読む]を含め、一度読んだり触れたりした記事というものの扱い方というのはどうあるべきなのか、ナゾです。はてなブックマークを心地よく感じる理由のイチ要素として、「自分の読んだ記事や読もうかと思った記事をアーカイブした気分になれること」というのはあると思う。だからか俺は、自分が読んで笑ってはてブにクリップしたニャー速記事が読み返せなくなったときにイラッとしました。誰に対してイラッとしたのかはわからない。ただ、感覚としては「取ってきたR25を、まだ読んでないのに知らん間に家族が捨ててた」に近い。

        • -


まぁ、ニャー速に関しては、多分id:obacanのエントリで指摘してた「スレッドのおもしろさを作る上で何も貢献できてないくせに、『俺たちの成果で儲けるな』って喚いてまとめサイトを潰した『VIPPERのうち、創り出す事は出来ないけど壊すことだけはできるタイプ』」に対してかもしれないけどω

[obacanの日記 - ネタが書けるVIPPERは、クズじゃないんだよな。]
http://d.hatena.ne.jp/obacan/20060612/1150105685

VIPPERVIP板を作り上げてるんだけどさ、その作りあがったおもしろいスレッドっていうのは、たぶんほとんどが「実生活でもコミュニケーション能力高くて周りを笑わせてるタイプの実行力に富んだ“できるやつ”」が作り上げてんじゃないの、ってこと。

とにかくね、何かしらね、VIPPERやってんなら、人笑わせる力くらい身につけたほうがいいよ!とにかくね、笑わせられる奴はまとめサイトにキレて炎上させたりしないよ、たぶん!

なんだか俺がリアルクネクネ中。気をつけたほうがいい。

モテる前に自己認識しろ。対内外、2つのコミュニケーション

今日は暇だから、[あとで読む]をひたすら読んで、100字にまとめたりタギングしたりしてる。あぁ、俺のはてなブックマークがどんどん「ちょっとした読み応えのあるハウツー本」になりつつあるぜ。ある意味、オープンソースをまとめて作ったプログラムみたいなものになってきた。

・・・んっ、もしや、このプログラムのAPIを公開して別のものとマッシュアップしたら、素晴らしい知恵の塊が出来上がってしまうんじゃないかっ・・・!?

と、2.0的なビジネスに関するヒントはここまで。今日はこの話じゃない。


[烏蛇ノート - 「女はわからない」という幻想]
http://d.hatena.ne.jp/crowserpent/20060429

 私が「男には女はわからない」というフレーズを見て反射的に考えたのは、「それじゃ、男なら男に全て理解できるのか?」ということでした。男だろうと女だろうと、他者である以上は完全に理解できないのは当然で、その意味で言うなら「他人はすべからく謎」ということになるでしょう。

「男には女はわからない」のは、男と女が遠く隔たった異界の存在だからなどではありません。「思い入れの中の女性像」を壊されたくない男性が、現実の女性との相互理解を自ら拒んでいるに過ぎないんです。彼らは女性が「わからない」のではなく「わかりたくない」のであり、そのために元々ありもしない「断絶」を自ら作り出します。

「女がわかる/わからない」とは結局のところ、男性から女性への過剰な思い入れの所産であり、それ自体が幻想です。こうした男性がこのことを問題にしてしまうのは、「女性に受け入れられること・承認されること」をアイデンティティの核にしているからに他なりません。彼らは女性に承認されなければ充分に自己承認することができず、「自分が男であることの自信」を失ってしまいます。彼らは、「女性に承認されようとされまいと、自分が自分であるという現実は何一つ変わらない」ということがどうしても理解できません。いや正確には理解できないのではなく、理解はできても納得ができません。

「自分の思い入れは現実と異なる」という自覚を常に持ち続けることで、他者(ここでは女性)を不要に傷つけたり、負担を与えたりしなくてすむかもしれません。そうすれば、女性を支配対象でも恐怖の対象でもなく他者として受容していくことは、それほど難しいことではないと私は思っています。「わからない」という幻想に縛られさえしなければ。

とっても同意。


つけたコメント。

こんにちわ。[あとで読む]を読んでるところですω


自分はもっとテクニック志向で女性と対しています。「女性は論理よりも感情による行動判断をすることが多い傾向にある」と考えた上で、例えばグチを聞くときに、男のグチに対しては問題解決作の提示をし、女性のグチに対してはひたすら傾聴と共感を見せます。

短く言えば、男にはコンサルタントになり、女性にはカウンセラーになる、と言えるでしょうか(いまこのフレーズをひらめいた自分を全力で褒めたいと思いますω)。


はてな界隈で「感想メソッド」なんていう表現が流行っていて、何か意見を言うときに、断定口調でなく「〜〜と私は思います」という感想の口調でエントリを書くという潮流があるようですが、とにかく男女問題においても大事なのは「自分がどう認識しているか」を、認識するという、メタ認知の部分だと思います。


「女性はわからない」のは事実ではなく、感想です。「女性はわからないと僕は思っている」という事実を認識することで、「それじゃあどうすればいいんだろう」と考えることができ、それこそ「ベストパートナーになるために」(ジョン・グレイ著、大島渚、訳)などの「恋愛ハウツー本」を読み漁って、内容を自分なりに整理しました。その結果自分は、真心をテクニックを通して伝えるというコミュニケーション手段にたどり着いています。


コミュニケーション能力の低い人の多くは、このメタ認知という概念を持っていません。「むかつく」でなく、「むかつくと俺は思っているな」という考え方にスイッチするだけで、一体どれほどの異なる価値観を受け入れることができるようになるのでしょうか。

参照:
[Amazon.co.jp: ベスト・パートナーになるために―男と女が知っておくべき「分かち愛」のルール 男は火星から、女は金星からやってきた: 本: ジョン グレイ,John Gray,大島 渚]
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4837971768/249-5417332-1939545?v=glance&n=465392
アフィリエイトとか興味ねー。


何かについての思想において、自分の価値観を根底から覆すのは非常に怖いことだ。「おまえは何もわかっちゃいない」と言われて怒り狂う人間は何人も見てきたし、俺も何人もの人間を、思いやりとスキルの欠如によって激こうさせたことがある。

俺は何を言われても、論理的にそれが正しかろうと間違っていようと、その発言をすること自体が直接的に何かに対して害を及ぼさない限りは、その発言を受け入れる。いや、その発言がこの状況下で話し相手の口から出た、ということを受け入れる、と言ったほうがいいかもしれない。

主観である自分の感情を、まるで客観的事実であるかのように認識してしまう人間は、多いというのは間違えている。多いのではなくて、人類が全員そうなんだ。結局、自分の脳でしかモノゴトを考えられない俺たちは、主観しか持っちゃいない。できるだけ客観的な判断を下せるプログラムを自分の脳の中にインストールして常駐させる努力を、主観的な判断で受け入れた後、続けていくことしかできない。


俺らは、とりあえず法のもとに思想の自由を持っている。あとは、自分の思想をどのように操作していくと得なのか考えながら工夫して生きていくしかない。lifehacksの本質はそういうところにあるのだと思う。


そうそう、最後に。俺個人の特性の話だけど。


俺は、全否定されるのが大好きです。なぜなら、その否定を(メタなレベル、具体的なレベルをともに含めて)取り入れ、自分と相手との間に横たわる溝を埋める・その矛盾を止揚するテクニックを見つけ出したとき、また自分が他者に好かれる人間へ進歩できると信じ込んでいるから。

とにかく、自分の認識の仕方を認識するというクセは、おそらく年収を変えるくらいの力を持つテクニックだと思うんだよね。増収lifehacks。根拠は無い!

はてなブックマーカーよ、早起きしろや。

おとといの村上世彰ネタがずいぶんアクセス数を稼ぎやがったんだけど(1000位)、っていうか予想以上にそれに対する後輩のコメントにアクセスがきててびっくりしたんだけど、とりあえずはてなブックマーカーの特性がわかったので記述せずにはおられねぇ。しかし昨日のはびびったので引用。

[kercの日記 - davidoffによるコメント]
http://d.hatena.ne.jp/kerc/20060606/1149594917

現行迄に見てきた文章論理の欠如から少なくとも残念ながら先輩が「正当に酷評できるほどの論理」及び「大衆の心を動かすカタチでアウトプットできるスキルを持っていない」ことは明白。

よくぞ言い切った!明快な批評はほんと気持ちいいわ。


さてさて。


おとといのエントリを投稿したのは10時台。12時台がピークで、以降緩やかに減り、20時台から持ち直し、22時台からゆるやかに減少。思ったよりは深夜が少なかったけど、このへんは24時間で1000ちょっとなので、統計的に優位水準を満たしたサンプル数は得られてないかと思うわけ。


しかし。


どうしても、

  • 朝バタバタと会社に行って、会社ついたらPCつけて、昼休みからネットサーフィン(いまこの単語流行ってんだってな!うそうそ)始めて、昼過ぎまでだらだらとweb閲覧を続けて、帰途につき、ご飯食べて、家でPCつけて、翌日を思って憂鬱になり、風呂入ってフテ寝。

というような、襟のくたびれたリーマンの日常的な生活様式を、目に浮かべざるを得ない。


もしくは、(別エントリのときは深夜がすっごく盛んにアクセスされてたことを考えて)

  • 21時くらいからしがみついているPCで、日付変わったしもっかいmixiはてブをチェックしとこうかなー。などと思い、ホッテントリの入れ替わりのなさに一抹の寂しさを覚え、「もっと見」て、あ、まだ見てないの見つけた。クリック。ふーん。他に目新しいのないし、ブックマークしとこ。

などというニートスレスレの学生の行動様式が、割と圧倒的に手に取るようにわかる。


みんな好きなんだろ、はてな近藤社長とかさ。っていうか、はてなやってる時点で「周りと一味違うオレ」を欲してる自己顕示欲のカタマリのようなオタクなんだろ、おまえ?違う?違うか。すまんな。


とにかくさぁ、俺の主張を聞いてくれよ。2分だけでもいい。

早起きは、いいずら。

北条早雲「朝はいかにも早く起くべし。」

・・・きっと金持ちは俺らより早起きだぜ。ビルゲイツしかりカルロスゴーンしかり、近藤淳也(貧乏そうだな)、はてなおや(生態不明だな)、村上世彰(寝てなそう)。


俺の理想の生活!って話変わってんじゃねーか!でもここ3日くらい早起きですごく調子いいんだよ。運もいいし。

  • 5:00起床

朝はいかにも早く起くべし。一日の始まりとして、4時は早すぎる、6時は普通すぎる。5時きっかりに起きる。目覚ましなど邪道なものは用いず、自然起床を狙う。保険に目覚ましは6時にセット、電子音でなくベルのくっそうるせーやつを。

新聞をぱーっと読む。気になる記事はやぶりとってとりあえずクリアファイルに入れとく。めしくってからPCつけてから要約して、はてなグループにポスト。手早く味噌汁つくって納豆めしと、ゆったりと食う。食後に茶。あとでオレンジジュース飲んだら口臭消える。そののち歯磨きかガムとか。。。

  • 6:00PC起動。

まずは欲に任せて、メールチェックとmixi(一日一回限定にする)とはてなブックマークのトップページだけチェック。あと、昨日コメントつけたblogもチェック。

禁欲生活は俺には無理。性欲が過小な分、こーゆー欲が強い。早起きできたゴホービ。はてなブックマークは、id:obacanの日記で紹介してた手法で要約。読みっぱは原則禁止、だけど無理はしない。でも朝は[あとで読む]タグだけは禁止。・・・だけど無理はしない(長いのはあとまわし)。

[obacanの日記 - はてなブックマークをプライベート設定で使う理由。]
http://d.hatena.ne.jp/obacan/20060427/1146099898

さて、はてなブックマークについてはどうだろう。僕の使い方から説明しなきゃだよね。僕は、気になったエントリがあると、みんなと同じように「このページを追加」っていうブックマークレット(僕は「はてブに追加」って名前にしてるけど)を使って登録してる。ただたぶん特徴的なのは、コメント欄に全文を100字くらいに要約したものを残してるってこと。だって大抵のエントリって背景説明や譲歩や言葉遊びに文字数をとられてて、全体の要約をしても100字で足りちゃうんだもん。

まさにそのとおり、って感じ。俺はほんとうつくづくこんなふうに思う。背景と譲歩と遊び。言いえて妙!


そのあと、前日に読んだ本やセミナーなんかを全部要約し、はてなグループ(プライベートモード)にポスト。

  • 7:30チャリで会社に向かう。

健康的だしスイスイ進めるし快適!

無理。電車で1時間かかる大学に言ってるっつーの。って誰に突っ込んでんだ俺は。俺生まれたときからこんなかんじだよな。いっそ生まれてこなければよかったのに。


っていうか、意外と住み処は重要だな。電車使うなら始電が好ましいし・・・。あ、エッヂとかのやつを電車内で使えばいいのかもしれない。引越しはlifehacksじゃないが、ノーパソと無線通信機器を揃えるくらいなら範疇だといえよう。


とにかくさぁ、俺が言いたいのは、

昼夜逆転はやめなよ、クズども」ってことだね!鬱で自殺するやつのうち、非常に大きな割合が昼夜逆転生活者だし、ニートやフリーターの生活様式と企業経営者の生活様式を比べたら、ものすごく強い違いが見られると思うんだよな、まじで。

・・・そういえば、周りに居る学生社長(慶應BOYZの一人さ、俺は!)を見てても、うまくいってるやつは早起きだし、うだつがあがらないやつは深夜に仕事して「今日徹夜だよぉ。」とか言ってやがるわ。ワーカホリック的なほうが儲かってないっていう悲しさ。余裕もとうぜ。


朝に余裕もとうぜ!


さて、こっからは経験則。推論ではないから注意。

朝早く起きると、何か非科学的な力がくわわる感覚がある。とにかくグレートなんだわ。精神が安定して、自分がツイてると認識することが多くなって、高揚でなく、冷静なハイになれる。実行力が非常に強くなり、人に好かれ、頭の回転が速くなり、アイデアのキーワードが、一日で、それこそ原稿用紙10枚分くらい浮かんでくる。

徹夜明けでも同じことになる。睡眠をとるとらないでなく、境目は、朝から夕方まで起きているかってこと。もしくは、「早朝の時点で起きていて、現在それから起き続けている」っていう状態が、脳が活性化する条件って気がする。

まぁ俺は、食パンを口にくわえてシャツをはおりながら走っ(ry


補足。

分析したデータははてなブックマークのランキングを考慮してないし、だいいちタイトルが「村上世彰」だからビジネスに無関心な層は見ないだろうし、途中でdavidoffによるコメントをポストしたし、いろんな特定不能要因はあるから、正確なデータではない。

って書いとかないと、また東大生にぺしゃんこにされるω

davidoffによるコメント

ったくよぉ、.docなんてはてな界隈で好かれるわけがない拡張子を使ってくれちゃって。この東大生がッ!!

注:
[kercの日記 - 多くの人が、村上世彰を理解できる頭を持っていないだけだと思う。]
http://d.hatena.ne.jp/kerc/20060606/1149555593
のコメント欄に投稿されたWordファイルを転載しました。

記事を興味深く拝見致しました。ここで少々長くなってしまい申し訳ありませんが感想を述べさせて頂こうと思います。

第一点:批判のあり方について(新規定義付の提案)
批判する権利を行使する前に(中略)「原則として、批判する対象のことはサラッと一通り調べ尽くしておく」
この点に関しては望ましいことであると私も認めます。しかしながら、この要求には実効性が乏しいと思います。「サラッと一通り調べ尽く」すという表現が抽象的に過ぎ、拡大解釈すれば全ての批判を否定し、全ての批判を肯定することになるからです。
そこで批判のあり方に求められ得るものを新たに提言致します。
但しここで私が提起するのは「現代社会に対する批判」といったような広範且つ直接人権に触れるような批判に適用すべきものでは無く、先輩のブログの内容に準拠し、特定の『人物』の人間性・思想・発言・文章等についての批判について扱うこととし、ここに限定致します。これはつまり批判対象が感情を持ち人権を持つ思考主体であることに特徴があり、この限定の正当性はここにある、と論の前に整理するものであります。
ここで本論に戻します。この場合、望ましい批判の要件にあたると私が考えるものは以下。
まずは「1.批判対象そのものの限定」
ある人物のある特定の発言、若しくはある特定の文章等、相手の思考の方向性を明確に認識できるものをソースとして批判を展開する。
これは批判対象の拡大・論の精密性の確保・憶測又は推測による批判の回避を目的とし、提言するものです。例えば言動・行動を批判する際に批判の対象が容姿にシフトし、「強欲な顔をしている」などと発言すればそれは説得性を欠く批判となるでしょう。また、論を展開する上では万民が事実と認識する情報がなくては説得性がない。こういったことです。
補足になりますが、ここで「説得性」という言葉を用いたのは批判の本質は「説得」に他ならないと私が考えているためです。裁判は対審により両者の意見も以って判事を説得することで成り立ち、殊一般社会では喧嘩や対立といった意見の相違は社会的にどちらがより多くの賛同を得られるかによって裁かれると言えます。表記が遅くなりましたが、この点はこの文の全ての意見の背景とします。
次に「2.批判方法が精密な論に基づくこと」
批判においては感情的手法を避け、批判対象の事象がもたらす「結果」の問題性を主張する、若しくは批判対象の論の決定的な不整合を付き、行為等の軽薄性を指摘するなど、論的主張の一様式を批判と為す。
これを提起する趣旨は上記1とほぼ同様です。説得性というものの重要性は上記述べておりますが、仮に大半の者が感情的に認容できるような事象でも、それをもって説得が成功したと見做すのは危険であると考えます。これは上記の「説得」の対象に問題があった場合を想定した措置とも言えます。ナショナリズムの高揚によりヒトラーが出現する、といった状況は何故生じるのか、それは感情的な手法ではなく、物事を捉える人々が減少したことにも一つの原因があるのではないでしょうか。この意味でこれは客観的な分析を説得の対象に求めるという、「批判の評価の正当性を確保するための批判者の義務」という言葉で置き換えてもよろしいかと思います。
以上2点、最初の問題として、私の意見を述べました。

以下、先輩の記事のテーマである村上氏関連の問題に私の視点を移行するに当り、論的には何ら問題がないこと、文章の長文化の回避を目的として申し訳ありませんが敬語文体を省略させて頂きます。我儘ではありますが何かを主張する際には簡潔性の問題から敬語は相応しくないという私の考えを汲み取り、敬意は上記までの文で表明したと考えて頂ければ幸いです。

第二点.社会的不経済と訴追についての主張の不一致(矛盾の指摘)
村上氏が訴追されたインサイダー取引は社会的不経済をもたらすがため禁止されている。「犯罪行為は客観的にも主観的にも責められることだ」としながら「村上氏がいつ社会的不経済を引き起こしただろう?」と主張するのであれば、村上氏が抵触した法律自体の立法趣旨が社会的不経済発生防止には『無い』こと、若しくは法律の適用範囲又は施行方法が社会的不経済発生防止の立法趣旨から『外れる』こと、若しくは村上氏の行動が違法なものではなく、立件が『不当』であることのいずれかを論証しなくてはならない。この論証が伴わなければ、上記の主張は矛盾したものであると言わざるを得ない。
記事の最終部にも法を犯した「点においてのみ彼は批判され、刑罰を受けることになるべき」旨の主張がなされているが、完全に法を社会と乖離させ、法の規範性・存在意義を無視した議論となっている。

第三点.完全なる感情論(論の正当性・自己矛盾の指摘)
「彼は頭がいい」「村上氏の(中略)テクニックは惚れ惚れする」「と、俺は彼に、まんまと思わされている」「村上氏よりも「頭のいい」人が」「凡人にはわからないレベルで善行を行っている」等、完全なる感情論での擁護。村上氏に関わる論の冒頭に「一体どれほどの人が、村上氏の活動を(中略)主観的要素を排した上で客観的に批判しているんだろう」は文理上、明らかな問題提起である。これに対して、擁護がこのような主観的方法に基づくのであれば、目指す表現と為す表現に乖離があることが明白で、自己矛盾、論理力の欠如と捉えられて然るべきである。

第四点.一般論でない主張に対する裏付けの欠損(論の正当性)
「倫理があるインテリは、正当な批判を受けるような行動をとらない」という発言について。倫理とは社会的規範を遵守し、自己の為すことについてその(社会的)正しさを強化するように振舞う精神であると一般に解されていると思うがいかがか。
これは倫理に限らず道徳・宗教・法律等、凡そ価値判断の潮流は社会に立脚するという考えに基づくものである。この点については私はある程度哲学・宗教学・法学の分野でコンセンサスを得ている考えであると私は認識している。であれば「正当な批判」を受けることを回避する者は、己を社会通念に照らして修正する道を知らず、倫理的とは言えない、という結論に至るのが当然であり、この点を考えた上で論を展開した上でなくば先輩の主張は利用できない。

第五点.論のテーマ設定自体の棄却(論の正当性)
以下「凡人は、頭の悪い僕たちは、彼を正当に酷評できるほどの論理を持っていない。万が一その論理を見つけたとしても、それを大衆の心を動かすカタチでアウトプットできるスキルを持っていない。」の点について。
現行迄に見てきた文章論理の欠如から少なくとも残念ながら先輩が「正当に酷評できるほどの論理」及び「大衆の心を動かすカタチでアウトプットできるスキルを持っていない」ことは明白。感情的手法では大衆の心を動かすことができる、という反論が想起されるが、それは現在マスメディアが村上氏の批判に用い、そして成功を喫している手法であるから、その点主張するのであれば記事大半の論拠が失われる。
そのスキルを持っていないことが凡人の要件であるとは先輩の文章からは確かに読み取れないが「うん。かなわないんだ、頭のいい人には。」の一節から論理とアウトプットのスキルが「頭のいい人」の要件であろうとは推察される。この点からすればご自身の論理では、先輩は今現在正当な言わば他者批判可能要件を持っていないと言うことができる。(補足すれば私は「頭がいい」という概念に対して、先輩とは異なる見解を持っている。従って上記の欠損によって先輩は「頭がいい」のではない等と主張しているわけでは当然ない)
ここで思うに先輩の記事は「村上氏を感情的手法により批判する人々」若しくは「凡人」に対する批判であると当然解釈できる。先輩の掲げる論理からして、ではこの批判はそもそも全うな形で成立していると言えるのか。自分より頭の良い人の批判ができない、そしてその頭の良さが「スキル」等と言った言葉に還元されるのであれば、決定的に芸術に対するスキルを欠く評論家は評論活動が不可能だろうか。世間で「頭が良い」と認識される帝大生を、他の大学の生徒は批判できないのだろうか。論旨が見えない。
恐らく「頭が良い」ことに対する先輩なりの定義と連動してはじめて、この主張に意味があるということなのだろうが、それでも矛盾していると言わざるを得ない。つまり以下のようなことである。
先輩の言うところの「頭が良い」の定義自体が大衆の心を動かすことを要件とするならば、村上氏は今現在大衆に批判されていないだろうか。村上氏が評価されたのは経済活動によってであって”論評”という活動はマスメディアが一応、これを専門的に行っているという前提に立つならばどうか。
いずれにせよ、具体的要件・イメージを提示せず、「頭がいい」「凡人」等の抽象論によって人の差別的待遇を為し、それによって批判批評の活動の正当性を語ってみても何も実は表現できていないのではないか。

以上です。

インターネットに一般公開されている日記に超長文のレスを付けることはテロリストの爆撃に等しい行為でありますから、「興味があれば」ということでここに提示致しました。憲法議論上通説となっている「特定の表現を目にしない権利」についてはこれによって確保したつもりでおります。


うわっ、さすが六法全書で勉強してるだけはあるな・・・。論理が明確で全く反論の余地が無い。

。「犯罪行為は客観的にも主観的にも責められることだ」としながら「村上氏がいつ社会的不経済を引き起こしただろう?」と主張

これは俺の書き方が悪かった。すなわち、犯罪行為は社会的不経済だけど、この文脈では「インサイダー取引を行うまでに」という譲歩が必要だった。

冒頭に「一体どれほどの人が、村上氏の活動を(中略)主観的要素を排した上で客観的に批判しているんだろう」は文理上、明らかな問題提起である。これに対して、擁護がこのような主観的方法に基づくのであれば、目指す表現と為す表現に乖離があることが明白で、自己矛盾、論理力の欠如と捉えられて然るべきである。

うん、これはまぁ、レトリックのつもりだけど、卑怯で不誠実な文章展開ではあると思う。

先輩は今現在正当な言わば他者批判可能要件を持っていないと言うことができる

まったくそのとおり。これに関してはエントリを書きながらニヤニヤしていた。基本的に小手先テクニックでおもしろがられる記事をかければいいや、と思って書いてたからなぁ。

そうだねぇ、自分の中だけで確立しちゃってる論理を、前提ヌキで語ってるろこは大いにあるように思う。

ここまで誠実な批評をされたのは人生初だから、すごくうれしく思うよ。またベイリーズ飲みながら徹夜で抽象的で曖昧な議論をしたいね。

多くの人が、村上世彰を理解できる頭を持っていないだけだと思う。

出た、感想メソッドω
ていうか「〜だと思う。」ってのは、感想メソッドとかじゃなく、メタ認知だろ。カウンセリングの認知療法分野なんかでは初歩の方法だよ。まさに、将棋板で最初に動かす第一手を歩にするくらいの定石。

・・・まぁ、こんな話はどうでもいい。俺は怒ってるんだよ。


村上氏は批判されてるという。

・・・誰か、当事者でない人が客観的な批判をしてるのかな?社説で新聞社の編集委員がかな?俺は、俺が有名人だと認識してるひと(別に俺、偏屈じゃないよ)が堂々と批判してるのをまだ目にしてない。テリー伊藤とかはワーワー言ってたりするのかな?昨日はテレビも新聞もネット世論も大して見てないので、何とも言えないんだけどさ。

[asahi.com:村上代表「金もうけ、悪いことですか」 つきまとう酷評 - 社会]
http://www.asahi.com/national/update/0606/TKY200606050564.html

こんな記事タイトルがつくくらいだから、こきおろされてるんだろうか。


俺はね、批判するときって言うのは結構めんどくさい責任を負うと思うんだ。っていうか、責任というより、批判する権利を行使する前に果たすべき義務があると信じてるのね。それは何かって言うと、「原則として、批判する対象のことはサラッと一通り調べ尽くしておく」というもの。

これ、果たしてない人多いよね。つい最近炎上したナントカさんのblogにしたって、モーニング娘ファンからすると「おまえ全然知らないで非難するなよ」っていう批判でコメント欄が埋め尽くされてる。ここ2〜3日は忙しかったのでちゃんと記事もコメントも読んではいないけど。ごめん。これってあれだな、いわゆる言い訳だな。もしくは逃げ道。「だって読んでないって言ったじゃん」的な。あーめんどくさい、何書いてるんだ俺は。

[花岡信昭ウェブサイト - my weblog : 「。」と「、」と「遷移」]
http://www.hanasan.net/xoops/modules/wordpress/index.php?p=261

まぁ、この炎上に関して言えば、ハタから見ると「え、なにこのオタクさんたち・・・??本気か??」って印象だけどさ。価値観がちげー、って感じ。


リンク紹介ついでに、笑ったので記載。
[404 Blog Not Found:聞いたもの負け]
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/50521212.html

Dan the Investor Bound to Spellbound

なんでかクスクス笑ってしまった。


でね、村上世彰氏の話。


一体どれほどの人が、村上氏の活動を、やっかみや生理的嫌悪とかそういう主観的要素を排した上で客観的に批判しているんだろう。もちろん、逮捕されることをしたわけだから、その点においては罰を受けるべきだし、犯罪行為は客観的にも主観的にも責められることだ。でも、それ以前の株式大量取得問題なんかに関して、理屈の上で村上氏を正当に非難できる人間はどれほど居るんだろう。


俺はこんなエントリを書いてることからわかるとおり、そんなにニュースに明るくはない。だけども、とりあえず村上氏がいっつも主張してた「株式上場って言うのは、皆さんどうぞご勝手に買ってくださいよという意思表示ですよ」っていうフレーズは、あれはもうそのとおりだと思う。個人的に「会社は株主のもの」という倫理は大嫌いだし、しまむらGoogleのような社員と顧客を第一に考えた態度を好ましく思うんだけど、それは主観の話。

日本の法律では、株式上場は身売りみたいなもんだ。現状でな。それがルール。

だから、我らが「はてな」は上場しないんだ。(推測でモノを語るんじゃない!)


村上氏がいつ社会的不経済を引き起こしただろう?個人的に、そんな記事は目にした記憶が無い。もちろん勉強不足だから、もしかしたら社会に対する不経済的活動を行ってたかもしれないので、そのときには俺は「あ、まじすか。村上世彰、悪い人か。そうか。」と思うことになるんだろうな。って感じ。

彼は頭がいい。俺は自分のコミュニケーション能力に自信があるんだけど、そんな俺から見て、村上氏のパフォーマンスや取材陣をかわすテクニックは惚れ惚れする。頭の回転が早くて、コミュニケーションのテクニックにおいて向上心を持っていて、そしてそのテクニックは真心を表明するために磨いている、そういう人に違いないと、俺は彼に、まんまと思わされてる。


倫理があるインテリは、正当な批判を受けるような行動をとらない。今回の件に関して言えば、村上氏よりも「論理的に正しい倫理」を持ち、なおかつ村上氏よりも「頭のいい」人が村上氏を酷評している例は、いまのところ俺の目に付いていない。


そう、凡人にはわからないレベルで善行を行っているんだ、彼は。


凡人は、頭の悪い僕たちは、彼を正当に酷評できるほどの論理を持っていない。万が一その論理を見つけたとしても、それを大衆の心を動かすカタチでアウトプットできるスキルを持っていない。

うん。かなわないんだ、頭のいい人には。うぅ。


そんな彼にとって最大の過ちはなんだったのか。
法を犯したことだ。
この点においてのみ彼は批判され、刑罰を受けることになるべきだ。


彼の謝罪会見は見事だった。
時代の潮流をとらえていれば、「異例の謝罪会見」で「素直に罪を認めて謝罪し、これからの抱負を語る」ことが、村上氏自身を最も利する行動であることは理解できる。その理解の上で、それでもどうしても頭によぎってしまう不安や逃避願望を断ち切り、ああいうカタチで公衆の前に姿をさらせたのは、ひとえに彼の頭のよさ(主観に流されず客観において判断を行える力)と、あとは、「僕は異常にアグレッシブなんですよ」と言い切れる生まれつきの性質によるものだったのだろうと思う。

[isologue: 村上氏、インサイダー取引認める(どうなる、投資実務の今後?)]
http://www.tez.com/blog/archives/000701.html

自分から事業を投げ出すことで代表訴訟リスクをも負う可能性のあった堀江氏に比べて、村上氏はファンドの投資家からの訴訟さえ回避できれば、他からの民事訴訟を受ける可能性は小さいかも知れません。

とかね。あと、イメージの問題もある。自分の見せ方を、観客の客観と主観の両方に納得させるカタチになるように選んでいる。


まとまりのないエントリだけど、これだけは断言してしまおう。

俺は個人的に、村上世彰氏を非常に好ましく思うし、あの倫理インテリはこの先も活躍して社会に貢献すると信じてやまない。


ん?・・・。
構造的に見れば、俺の主張は、モーオタと同じだorz