はじまりは、「マジメ=ダサい」という偏見、かも。メモまでに。

NHK眺めてたら平原綾香の曲が流れてきて、昨日のエントリのタイトルを少し見直してみた。
[kercの日記 - 「頭がいい=見た目が悪い」という偏見、「実行力≒能力」という感覚]
http://d.hatena.ne.jp/kerc/20060429#1146295041
読み返すと、コメント欄でしかタイトルの説明してないな俺。くそ野郎だなぁ。

kerc
『もうひとつ。
タイトルの
「頭がいい=見た目が悪い」という偏見
っていうのは、自分が個人的にずっと抱えてたバイアス。他の奴が無意識的にこういう偏見を抱えてるかはわからんけど、高偏差値とルックスの悪さに感覚的な関連づけをしてるひとはある程度居るんじゃないかと思い込んでるんだけどどうなんだろう。』

この偏見に至るには段階があったんじゃなかろうかと思って。


NHKって、なんとなくダサめのミュージシャンをやたらと起用するじゃんか。なんでそういうイメージつけようとするのかなぁーとか考えてみた。
*公的な性質の強い局だから、まじめなイメージをまといたい
*ダサいほうが年いったカタガタに安心感を与える
*云々・・・


と少しだけ考えてみたところで、あ、と思った。ダサいとマジメが混同されてるんじゃなかろうか。と思ったわけ。
ちょっと大風呂敷広げて推論にもなってない論理を展開してみるぜ。時間ないのに。


高度経済成長期のって、マジメであることが生産量の増加に直結した時代だったんじゃないかと思うわけ。今みたいに新技術がバカバカ生まれたわけじゃないし、わき目を振らず同じやりかたで仕事を延々こなしていくことで、仕事量と比例して生産量も増えてた。
こーいう背景があって、「マジメ=朝から晩まで同じことを黙々やる=出来がいい」っていう考え方が浸透して、さらに「同じことを黙々やる=自分の見た目の工夫もしない」みたいなことが同一視されてきて、結果「マジメ=ダサい」につながったのではないかと。
で、「マジメ=出来がいい」っていう感覚と連想ゲームした結果出来上がったのが、「頭がいい=ダサい」という偏見であると。そう言いたい。自信なさげにそう主張したい。
人間ってすぐ、必要条件とか十分条件に過ぎないものを必要十分条件にすりかえて信じ込む癖があるからなぁ。


まぁそもそも、このハナシは俺個人の「頭がいい=見た目が悪い」という不思議なバイアスからスタートしてるので、俺以外の人間にとって価値があるのかよくわからないけど、自分としてはモヤモヤがスッキリして気持ちよかったわけ。そんだけさ。


あと、ひとつだけ書き加えておくと、学生運動*1とか結構顔出してて感じる俺の経験則として、「ダサい≒頭悪い≒使えない」のほうがよっぽど成り立ちやすいよ*2


あ、なにげにこのエントリ5分で書けた

*1:ボランティアとかイベントみたいな優等生的なやつな。共産主義とかじゃあねぇよ。

*2:もちろん見た目イケてないけど凄いヤリ手の奴は居るけどね。