やる気マネージメントは自分ではできない

こないだAERAについて書いたときに、やる気についてちょっと触れた。


[kercの日記 - 「頭がいい=見た目が悪い」という偏見、「実行力≒能力」という感覚]
http://d.hatena.ne.jp/kerc/20060429#1146295041

・・・でまぁ、実は実行力の前に大事なのはモチベーションなんだが、それはまた今度書くと思う。

ただ先に言っとくと、やる気がないのは罪じゃないってこと、モチベーションを持たせてくれるのは自分でなく環境であること、自分にモチベーションを沸かすテクニックは結構あること、というようなことを俺は信じてます。

こんなふうに予告してたんだけど、

[neutral23の日記 - やる気マネージメントは他人がするものじゃない、自分でするもの]
id:neutral23:20060506
http://d.hatena.ne.jp/neutral23/20060506

なんて記事を読んだので、反論がてら書き上げたいと思う。


以前に、やる気とかモチベーションに関して、ひっどい会話を思いついた。
シチュエーションは、高校の学園祭の準備。やる気溢れるアッパー男子と、不平不満を持ってるわけではないけど付き合いで一緒に作業してるダウナー男子(ちょい武闘派)の会話。

アッパー「ちょっと中庭から角材持ってきてくんね」
ダウナー『はいはい、よいしょっと。ゆっくりもってくるよ』
・ダウナー男子、中庭に行って、角材もって戻ってくる。
アッパー「ありがと」
ダウナー『はいはい。次なにするよ』
アッパー「えー、自分で考えてくれよ。俺指示出す役目じゃねぇし」
ダウナー『んじゃてきとーにブラブラしてるわ』
・アッパー男子、持ってきてもらった角材を加工しだす。
・ダウナー男子、暇だし眠くて大あくび。

こんなシーン。で、何かしらアッパーがダウナーに不満を持ったとして。ダウナー男子のやる気なさに文句を言い出したとする。

アッパー「だいたいさっきから、おまえやる気あんのかよ?」
ダウナー『ん?』
アッパー「やる気あんのかって聞いてんだよ」
ダウナー『やる気ねぇよって言ってやろうか?

というような会話。


「やる気がない」ことが「罪」であるような雰囲気の場って、しばしばあるじゃない。俺ああいうの大嫌いなんだわ。いや、個人的な俺の特性は、大抵の場合ノリよくてモチベーション高いんだけど、たとえ俺個人にやる気がある何かのプロジェクトとかであっても、「やる気がある」ことを強制する同調圧力をかける奴のことは非常にうとましく思う。俺がテニスサークルを3ヶ月で辞めたのも、「俺ら慶應入ってテニスとかやってホント楽しいよなっ!!??」って空気が腹の底から嫌いだったから。強制的に同意を求めんな。


上の会話例は、場の空気(がんばることが正しいとされてる雰囲気)に乗っかってるアッパー君に、アッパー君の立ち位置の根拠となっている「場の空気」を壊すことができるダウナー君が、場を俯瞰して喋ってるって状況。


これはどういう状況かというと、前提があって、それは

場の空気は、場の構成員が表面的に見せてる感情から作られる

というもの。これは俺の見なし方。


場の空気を根拠として「やる気ない」人間を問い詰めてくる奴はしばしば見かける。特に小学校のころの女子とか、「アツい教師」とか。そういう奴は、場の空気と言うものを絶対的なものか何かだと無意識的に信じ込んでしまってんじゃねーかなと思う。こっからは想像なので推論にはなってねーけど、そういう奴は、上のダウナー男子のような「場の空気を俯瞰してコントロールしうるスキルがある反抗者」にによって根拠を覆されてしまう可能性があるんじゃないかと思うんだよね。

っていうか、リアルにおける俺が結構そういうタイプなんだわ。「場の空気」に頼りながら「論理的にあんまし気持ちよくない主張」をしてくる奴に対しては、問いかけてみたりする。その場の空気、つまり「皆が『周りは皆こう思ってるんだろう』って感じてること」が、「皆が本心で思ってること」っていうのと一致してるのかを確認してみることがある。


・・・わかりにくいかな。

・・・っていうかごめん。これ場の空気の話じゃん。本題と離れちまった。


この文脈で言いたかったのは、「やる気がない」ことが理屈ヌキで「罪」だとされることがあるってこと。で、その理屈ヌキの部分に問いかけをしてみると、やる気溢れてる奴は「やる気がない」ことが「罪」であると意識してるわけではなくて、無意識的にそういう空気を感じてしまっているだけだ、と。*1

罪っていうのは責任の上に成り立つ。責任は自由の上に成り立つ。自由とは選択が可能であるということ。つまり、本人の中に選択肢がない限り問い詰められる理屈はない。「やる気のあるなし」が選択できる奴なんてそう多くはない。何か行動を「思いつく」のも意識的に選択できる行為じゃないわけで、同様の理由で責められるべきじゃあない。俺ぁ基本が甘ちゃん思考なもんでね。

つまりね、「やる気がない」ことを周りの奴は責めるな、と。だいたいもともと、相応しい態度ってのはYou vs MeでなくProblem vs Usでしょや。meとusじゃなくIとweですか?しらんそんなことは。・・・前置詞・・・。そんなことは覚えてない。ばーか!

「やる気ない」ことを責めても、なんの解決にもならんどころか、問題はより一層ややこしくなるわけさ。経験でわかってんだろこんなこたぁさぁ。


閑話休題


[neutral23の日記 - やる気マネージメントは他人がするものじゃない、自分でするもの]
id:neutral23:20060506

●自分は自分のためにしか働けない

(略)
また、もうひとつは他人に必要とされている感覚に喜び感じています。

無理やり以上を総合すると、あなたのやる気を高められるのはあなた以外にいない
 どんなエサ(含む環境)も、多少のプラスにはなるが、基本的にはやる気そのものと比較すると無視できる程度の差しかない。
  だからって環境などに配慮しなくていいなんてことは言っていないですよ。
(略)

結局は、やる気って肯定的に受け入れることだったんですね。だから、言い訳をしないで、制約をうけいれ、自分のためとおもって行うようにすることが一番よく働けるんですね。あなたにとっても、会社にとっても。否定から入ったら、言い訳を考えて、制約されている事項が多すぎると不満を言って、自分のためにならないからといって遠ざけてしまうでしょ?

あなたのやる気はあなた自身がコントロールしていて、あなたしか左右できる人はいません。だったら、あなたはやる気のある方とない方のどっちをとりますか?

チームのやる気を失わせないためにリーダーがすべきことは
 あなたの仕事は、やる気を失わせないこと
  あなたよりも上から降ってくるくだらない命令・制度からチームのやる気を守ること。
  やる気は維持する努力が必要だし、放っておいて利子を生むようなものでもありません。
  チームの間では一人のやる気喪失が伝播するなんてことも起こりえます。


この人は「やる気が無い」っていうのを、俺に比べると高いレベルで語ってる。どんなレベルかというと、理屈で自分の感情を動かせるスキルのある人間の論理を語ってる。

俺も、自分のモチベーションを理屈でコントロールするスキルには自信がある。だけどそれは、「モチベーションについて自分で考えて実践してる人間にしか通用しないノウハウ」に過ぎないと思う。普遍的とは言えない。


neutral23のような、もともとやる気があるのに会社や上司に絶望してモチベーションがなくなってしまう人ってのは、スタート地点がニートとか非モテ非コミュとか、「大学における準ひきこもり」とかと違うわけ。

何もやりたいことがないっていうのと、やりたいことがやれないっていうのでは、状況は雲泥の差だと思う。やりたいことを見つけることができて、その上でそれが実行できない状況に陥ったときに、初めてneutral23のノウハウが役に立つ。


俺はやりたいことが無いほうがよっぽどヤベーと思うので、そういう奴にも使えるテクニックを提案したいわけですよ。


なんかいつか立ち読みした江川達也の本ωに、やりたいことが見つからない奴はマグロ漁船乗れや。とか書いてあって、いい表現だなぁと思った覚えがある。

解説すれば、こういうこと。やりたいことが何もできない状況に陥ると、人間は「やばい、やりたいのにできない。」っていう危機意識が出てきて、「できない!やりたいのに!」「やりてぇー」ってなる。ハングリー精神とか何とかよく言うのは、こういうこっちゃなかろうか。食い物のストックがなくなって、腹が減って仕方ないのに「でも狩りダリィし」とか考える原始人は居ないっしょ。


「できるけどやらない」くらいなら、「できない」状況に自分を追いやっちゃったほうがいい。これは簡単に、意識的・操作的に行える。


例えば大学生がPC使って書かなきゃいけないレポートがあるのに全然やる気が出ないとする。このとき、モチベーションゼロの奴がレポートを仕上げるために相応しい行動は、YouTube攻殻機動隊鑑賞にふけることよりも、映画館行ってアイス・エイジ2を観ることだと信じてるんよね。

ノートPCなんて持っちゃだめ。メモも持たない。手ぶらで30分かけて電車に乗って映画館行く。すると、映画観てて中盤にさしかかるくらいに、「・・・つーかレポートやばくね?あっ今アイデア思いついたのに書き留められない。周りの席いっぱいで出らんねぇよ。つーことは・・・、うわっ、帰りの電車考えてもあと1時間半は作業できないじゃねーかっ・・・。ううっ。」とかいう気分になってくれるわけですよ。自分自身の感情が。

YouTubeなら5時間くらい平気で眺めてんのに。これはPCの前にいることで、「いつでもできらぁ。」って気分になってるから、危機感を感じてないんだよね。


「できない」より、「できるけどやらない」のほうが、よっぽどリスクが高いわけだ。


この考え方は結構自分の中で座右の銘のひとつになってんだよね。
【モチベの話。「できるけどやらない」くらいなら、「できない」ほうががマシ。】ってフレーズ。どんくらい座右の銘かというと、このフレーズを書いた色紙を部屋の壁に貼ってる。


このテクニックを思いついたのは最近。留年して大学のクソつまらん授業にも出席せざるを得なくなって、暇なのに何もできないなぁ、くそう。とか思ってるときに、「何もできない時間」には「やりたいこと」が強く意識されることを自分の中に発見したからでありました。「ないものねだり」症状。


さて。


このエントリで提案したのは、モチベーション高めるテクニックのひとつにすぎない。しかも自分でしか効果を確認してないやつね。江川達也じゃ権威にならねーし。他にもモチベーションをあげるテクニックは沢山あるだろうから、明日の帰りにでもちょっと本屋よって、ビジネス書でも立ち読みしてみたらいいんじゃないすか。コペル君のおじさん*2とかもすんごいいいこと言ってるし。

あ、あと思いついたことだけメモまでに書いとく。

引用したneutral23のエントリにもちょっと書いてあったけど、「人のため」にやるのもモチベーションを切らさないコツだと思う。

社会を見てても、やっぱ「人を喜ばせたい人」のが「名を上げたい人」より成功するように見える。モチベーションが循環して連鎖するのが前者で、モチベーションにゴールや限界があるのが後者だと思うわけよね。


さて最後にタイトルの説明。
結局自分でモチベーションを管理してんじゃねーかって言われるかもしれないけど、自分ではできないというのはどういう意味で使った表現かというと、「自分で思うだけじゃ無理」「ていうか価値観なんてアタマの中だけじゃ簡単に変えられないだろ」ってこと。電車とか映画館のような、作業可能性がなくなる空間という道具を用いれば、自分のハングリー精神をうまく利用できるかもしれないよ、っていう提案をしてみたわけ。

空気の話は俺の趣味だった。だけど消したくない。執着なくせないのは精進が足らないね!


ハァ。明日のプレゼン準備しねーと。はははー・・・。

*1:まぁ、やる気あるなしに関しては実は、本来的に理屈が必須ではないんだよね。理屈じゃない部分が胸を打つわけだし、感情は理屈じゃ動かないからね。しかも人間の判断の一番の基準は感情。なんてこった。魅力ある人間は理屈ヌキの行動をとって人の胸を打つわけです。複雑すぎ。

*2:君たちはどう生きるか岩波文庫