モテる前に自己認識しろ。対内外、2つのコミュニケーション

今日は暇だから、[あとで読む]をひたすら読んで、100字にまとめたりタギングしたりしてる。あぁ、俺のはてなブックマークがどんどん「ちょっとした読み応えのあるハウツー本」になりつつあるぜ。ある意味、オープンソースをまとめて作ったプログラムみたいなものになってきた。

・・・んっ、もしや、このプログラムのAPIを公開して別のものとマッシュアップしたら、素晴らしい知恵の塊が出来上がってしまうんじゃないかっ・・・!?

と、2.0的なビジネスに関するヒントはここまで。今日はこの話じゃない。


[烏蛇ノート - 「女はわからない」という幻想]
http://d.hatena.ne.jp/crowserpent/20060429

 私が「男には女はわからない」というフレーズを見て反射的に考えたのは、「それじゃ、男なら男に全て理解できるのか?」ということでした。男だろうと女だろうと、他者である以上は完全に理解できないのは当然で、その意味で言うなら「他人はすべからく謎」ということになるでしょう。

「男には女はわからない」のは、男と女が遠く隔たった異界の存在だからなどではありません。「思い入れの中の女性像」を壊されたくない男性が、現実の女性との相互理解を自ら拒んでいるに過ぎないんです。彼らは女性が「わからない」のではなく「わかりたくない」のであり、そのために元々ありもしない「断絶」を自ら作り出します。

「女がわかる/わからない」とは結局のところ、男性から女性への過剰な思い入れの所産であり、それ自体が幻想です。こうした男性がこのことを問題にしてしまうのは、「女性に受け入れられること・承認されること」をアイデンティティの核にしているからに他なりません。彼らは女性に承認されなければ充分に自己承認することができず、「自分が男であることの自信」を失ってしまいます。彼らは、「女性に承認されようとされまいと、自分が自分であるという現実は何一つ変わらない」ということがどうしても理解できません。いや正確には理解できないのではなく、理解はできても納得ができません。

「自分の思い入れは現実と異なる」という自覚を常に持ち続けることで、他者(ここでは女性)を不要に傷つけたり、負担を与えたりしなくてすむかもしれません。そうすれば、女性を支配対象でも恐怖の対象でもなく他者として受容していくことは、それほど難しいことではないと私は思っています。「わからない」という幻想に縛られさえしなければ。

とっても同意。


つけたコメント。

こんにちわ。[あとで読む]を読んでるところですω


自分はもっとテクニック志向で女性と対しています。「女性は論理よりも感情による行動判断をすることが多い傾向にある」と考えた上で、例えばグチを聞くときに、男のグチに対しては問題解決作の提示をし、女性のグチに対してはひたすら傾聴と共感を見せます。

短く言えば、男にはコンサルタントになり、女性にはカウンセラーになる、と言えるでしょうか(いまこのフレーズをひらめいた自分を全力で褒めたいと思いますω)。


はてな界隈で「感想メソッド」なんていう表現が流行っていて、何か意見を言うときに、断定口調でなく「〜〜と私は思います」という感想の口調でエントリを書くという潮流があるようですが、とにかく男女問題においても大事なのは「自分がどう認識しているか」を、認識するという、メタ認知の部分だと思います。


「女性はわからない」のは事実ではなく、感想です。「女性はわからないと僕は思っている」という事実を認識することで、「それじゃあどうすればいいんだろう」と考えることができ、それこそ「ベストパートナーになるために」(ジョン・グレイ著、大島渚、訳)などの「恋愛ハウツー本」を読み漁って、内容を自分なりに整理しました。その結果自分は、真心をテクニックを通して伝えるというコミュニケーション手段にたどり着いています。


コミュニケーション能力の低い人の多くは、このメタ認知という概念を持っていません。「むかつく」でなく、「むかつくと俺は思っているな」という考え方にスイッチするだけで、一体どれほどの異なる価値観を受け入れることができるようになるのでしょうか。

参照:
[Amazon.co.jp: ベスト・パートナーになるために―男と女が知っておくべき「分かち愛」のルール 男は火星から、女は金星からやってきた: 本: ジョン グレイ,John Gray,大島 渚]
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4837971768/249-5417332-1939545?v=glance&n=465392
アフィリエイトとか興味ねー。


何かについての思想において、自分の価値観を根底から覆すのは非常に怖いことだ。「おまえは何もわかっちゃいない」と言われて怒り狂う人間は何人も見てきたし、俺も何人もの人間を、思いやりとスキルの欠如によって激こうさせたことがある。

俺は何を言われても、論理的にそれが正しかろうと間違っていようと、その発言をすること自体が直接的に何かに対して害を及ぼさない限りは、その発言を受け入れる。いや、その発言がこの状況下で話し相手の口から出た、ということを受け入れる、と言ったほうがいいかもしれない。

主観である自分の感情を、まるで客観的事実であるかのように認識してしまう人間は、多いというのは間違えている。多いのではなくて、人類が全員そうなんだ。結局、自分の脳でしかモノゴトを考えられない俺たちは、主観しか持っちゃいない。できるだけ客観的な判断を下せるプログラムを自分の脳の中にインストールして常駐させる努力を、主観的な判断で受け入れた後、続けていくことしかできない。


俺らは、とりあえず法のもとに思想の自由を持っている。あとは、自分の思想をどのように操作していくと得なのか考えながら工夫して生きていくしかない。lifehacksの本質はそういうところにあるのだと思う。


そうそう、最後に。俺個人の特性の話だけど。


俺は、全否定されるのが大好きです。なぜなら、その否定を(メタなレベル、具体的なレベルをともに含めて)取り入れ、自分と相手との間に横たわる溝を埋める・その矛盾を止揚するテクニックを見つけ出したとき、また自分が他者に好かれる人間へ進歩できると信じ込んでいるから。

とにかく、自分の認識の仕方を認識するというクセは、おそらく年収を変えるくらいの力を持つテクニックだと思うんだよね。増収lifehacks。根拠は無い!