書き手と読み手、情報の管理や操作について。メロドラマ仕立て!

ケーススタディとして、妄想をフル活用してはてなの中の人をキャスティングしたメロドラマ仕立ての具体例を書いてみた。欲求不満な奥さんとかは必見てかんじの、改心の出来だ。まだ書いてないけど。

jkondo君は、Temporary Internet Filesを1,000GBとかに設定してて、目にした情報は基本的にほとんどハードディスクに保存しちゃう。

naoya君は、ローカルのハードディスクに保存するなんていうダサいことはせずに、読んだ記事を全部はてなブックマークにクリップしてる。

reikonさんは、blogサービスが産まれる前からの日記作者で、犬の記事なんかを投稿してる。

reikonさんは過去に猫を虐待して実況記事を投稿したことがあって、そのころは匿名でやってて本名はさらしてなかったんだけど、それなりに話題になったから、パソコン大好きなjkondo君やnaoya君は偶然ふたりともその虐待記事を読んだ。

時は流れ、jkondo君やnaoya君やreikonさんは偶然遭遇する。jkondo君に惹かれたreikonさんは、過去を詮索されないようにと虐待記事を消した。その上でreikonさんは「昔からこんな日記サイト書いてるのー」と教えてjkondo君に犬好きをアピール。


ここで事件が。jkondo君は、な、なんと。「あれ?キャッシュがある。昔reikonさんの日記を読んだことがあるのかな、運命を感じるなぁ。」キャッシュを確認してびっくり、記憶の隅に残っている虐待記事じゃないか。「な、なんだってー。reikonさんが、よりによってあの実況をしてたひとだったなんて。」

naoya君は、日記を見てて記事の量にうんざり。いつもブロガーに会う前にやっているように、付け焼刃式の話を合わせるテクニックに従い、「http://d.hatena.ne.jp/reikon以下の人気エントリーを見る」ことにした。もちろんトップにくるのは猫虐待の実況。ただ、そこはreikonさんも抜かりない。運良くはてブのコメント欄には『[ネタ][実況][これはひどい]風呂に入れてる』とか『[たぶん][釣り]妙に写真がリアルだなぁ』くらいしか書いていないから内容は類推できないし、タイトルや要約は別アカウントを取って書き換えておいた。さらにreikonさんには都合よく、naoya君はこの時期ちょうど自分のクリップにコメントやタグをつけるのを怠けていたから内容がわからない。「あれっ、昔クリップしてるけど何だったっけ。タイトルは「お風呂はきもちいいです」かぁ。くそう気になるなぁ。まぁいいや、他の記事読むか。わぁ、犬好きな優しいひとなんだなぁ。」


jkondo君は「まぁどうでもいいや」ということで、reikonさんに「結婚しようYO」と言ってみるテスト。naoya君は状況をよく知らないままreikonさんに好意を抱くも、蚊帳の外。「一体どんな記事だったのかなぁー。」


閑話休題


[煩悩是道場 - ブログの閉鎖は自由である]

http://d.hatena.ne.jp/ululun/20060702/Weblog060702

を読んで、久しぶりのエントリを書く気になった。というか、コメントしようかと思ったんだけど文脈とか視点の角度が違うのでトラックバックにしたよ、みたいな。どちらかというと、書き手でなく読み手からの立場から普段かんがえてみてること。

閉鎖した結果としてアーカイブスとしてのトラックバック記事やコメントなどが閲覧出来なくなるという事はサイト運営者であれば誰でも考える事ではあるが、自らの手によってその死を宣告する自由を誰が奪う事が出来ると言うのであろうか。

トラックバックやコメントといった他人に著作権があるものに限らず、自分の記事だからといって自由に消せるのか。いやぁまぁ、消せるものであってほしいけどね書き手としては。しかし読み手からすれば、有益なblogであればあるほど、勝手気ままに消えてくれると結構不便だ。

たびたび思うのが、知る権利に対してプライバシー問題や著作権はどのように存在しているのかということ。まぁ、長年のテーマなのかもしれないけど、blogとかまとめサイト、あとは(極少数の)情報として有用なmixi日記といったものが目に付くにつれて、ある情報に関して、この情報は「自分が持っている情報」であるのかどうかが判断しづらくなってきた。


「自分が持っている情報」というものの定義は難しいよーに思う。情報がモノ媒体の情報でなく電子情報になることによって、「管理できる情報」や「接触を持てる情報」の量が明らかに変化してるので。知っているというのは、「認識したことがある」なのか「言われれば思い出せる」なのか「現在意識下にある」なのか、とか。

ちょっとズレるけど、個人的に俺は、「読むキッカケを得たことがあること」が、読み手側の意識にとって、「情報を所有している感覚」を発生させるのじゃないかなぁ、などと思ってる。[あとで読む]記事が消えてて結局読めなかったときになんとなく不快なのはこれじゃなかろうか。俺に限った話ね。


書き手からすれば、自分が書いた情報は管理したい。

読み手からすれば、自分が読んだ情報は管理したい。


[あとで読む]を含め、一度読んだり触れたりした記事というものの扱い方というのはどうあるべきなのか、ナゾです。はてなブックマークを心地よく感じる理由のイチ要素として、「自分の読んだ記事や読もうかと思った記事をアーカイブした気分になれること」というのはあると思う。だからか俺は、自分が読んで笑ってはてブにクリップしたニャー速記事が読み返せなくなったときにイラッとしました。誰に対してイラッとしたのかはわからない。ただ、感覚としては「取ってきたR25を、まだ読んでないのに知らん間に家族が捨ててた」に近い。

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まぁ、ニャー速に関しては、多分id:obacanのエントリで指摘してた「スレッドのおもしろさを作る上で何も貢献できてないくせに、『俺たちの成果で儲けるな』って喚いてまとめサイトを潰した『VIPPERのうち、創り出す事は出来ないけど壊すことだけはできるタイプ』」に対してかもしれないけどω

[obacanの日記 - ネタが書けるVIPPERは、クズじゃないんだよな。]
http://d.hatena.ne.jp/obacan/20060612/1150105685

VIPPERVIP板を作り上げてるんだけどさ、その作りあがったおもしろいスレッドっていうのは、たぶんほとんどが「実生活でもコミュニケーション能力高くて周りを笑わせてるタイプの実行力に富んだ“できるやつ”」が作り上げてんじゃないの、ってこと。

とにかくね、何かしらね、VIPPERやってんなら、人笑わせる力くらい身につけたほうがいいよ!とにかくね、笑わせられる奴はまとめサイトにキレて炎上させたりしないよ、たぶん!

なんだか俺がリアルクネクネ中。気をつけたほうがいい。