やっばいね。すんごい放置してた。

多忙なフリをしすぎた感が否めない。もっとこう、えぽっくめーきんぐなえんとりをたいりょうせいさんしてこそのいかりゃく
mixiの日記が明らかにblog化してしまって「キモい」「無駄」「[これはひどい]」的扱いを受け始めたから、ちょっとはてダに回帰現象。みたいな?


最近目に付くエントリが、どうも従来思考ばっかでツマンネーなぁ、とか思うのでメモしておきたいのですよ。


他人を利することだけ考えりゃいいんだよ

自分が目立つことを第一に考えたところでうまくいきはしない。同様に、自分が頑張ることを目的に何かしたところでうまくいくことはない。

楽をすることを考えなしに嫌うのはばかげてる。効率化の何が悪い。mixiは人間関係を手軽にメンテナンスできるから使うんだよ。便利なんだから使わない手はないじゃないか、と思うんだよなぁ。

合理と情緒、もしくは論理と感情

合理的であることは、あんましドラマチックじゃなく、情緒に訴えない。怒ってる奴に正しい論理を説いたところで何の意味も無い。人間の判断基準で一番大きいのは感情だ。だからって感情の赴くままにモノゴトを進めていったら戦争だらけの世の中になる。
どっちも大事ってことさ。

モノと情報は、価値を比べられるもんじゃない

モノを作るには、いろいろ考えた挙句、試作品を作って、複製品を作るにも材料を集めて労力をかけてあげる必要がある。情報は、一度生まれたらコピーのコストがゼロなわけで、結局大変なのは最初に生み出すまでの工程だけ。

これを、同じ「カネ」で比べるからややこしくなるんじゃないのか。情報を人に見せる広告っていうものに課されるカネは一体どんな基準で決まってくるんだ?大前研一TOYOTAに関するビジネスレポートと、牛豚ひき肉500gは、どっちがどれだけ有益なんて言えるのか?かんがえたいね。

やる気マネージメントの考察

[kercの日記 - やる気マネージメントは自分ではできない]
http://d.hatena.ne.jp/kerc/20060507/1146977357

について、
リアル友達から感想をもらったので、のせとく。

ん〜、前から思ってたけど
俺の持論、っつーか経験則だとやる気は状況とか環境じゃ左右されないんだなぁ
たとえば映画に行くとレポートやらなきゃっていう気になるって話ね
それはね、元からちょっとはやろうって気がないとそういう気にならない
やらなきゃいけないって思うことと、やろうって思うことは別なんだなぁ
これはきっと(俺の名前)には理解できないことだと思うけどね
「理解できない」っつーか「認識してない」が正解かな
(俺の名前)が言ってるレベルのさらにワンランク下
やらなきゃやらなきゃって思ってて直前にやるんじゃなくて、最後までやらない
そういうレベルの人間もいるんだよってお話


まぁ、あれだ
偉い人がニート対策なんかできるわけないってことだな
ニートって一浪一留してるやつでも思いつきもしないレベルにいるやつなんだもん


返事した

おっと、一部ついていけた。ちょっとうれしい。


> ん〜、前から思ってたけど
> 俺の持論、っつーか経験則だとやる気は状況とか環境じゃ左右されないんだなぁ
> たとえば映画に行くとレポートやらなきゃっていう気になるって話ね
> それはね、元からちょっとはやろうって気がないとそういう気にならない
そうね、価値観のどっかに「やらなきゃならんからやろう」って前提がないと、無理だ。やろうって思わないからね。


> やらなきゃいけないって思うことと、やろうって思うことは別なんだなぁ
> これはきっと(俺の本名)には理解できないことだと思うけどね
> 「理解できない」っつーか「認識してない」が正解かな
これはちょっと考えたことある。
アタマがやらなきゃならないと事実認識する
体がやらなきゃならないと認識する
アタマでやろうと思う
体がやる方向に向かう
実際にやり始める


みたいに、やることを選択するまでの段階を細かく刻むと
どの段階に自分がいるのかを客観的に把握できる、
っていうテクニックを思いついたことがあって、
しょっちゅう使ってる。


> (俺の名前)が言ってるレベルのさらにワンランク下
> やらなきゃやらなきゃって思ってて直前にやるんじゃなくて、最後までやらない
> そういうレベルの人間もいるんだよってお話
だって俺あれだよ、
留年かかってんのにテスト受けなかったりするひとだよ。
語学とか必修とか。
でもさっきblogの記事書いてたときには意識できてなかった。
まだまだ精進たらんと思う。

やる気マネージメントは自分ではできない

こないだAERAについて書いたときに、やる気についてちょっと触れた。


[kercの日記 - 「頭がいい=見た目が悪い」という偏見、「実行力≒能力」という感覚]
http://d.hatena.ne.jp/kerc/20060429#1146295041

・・・でまぁ、実は実行力の前に大事なのはモチベーションなんだが、それはまた今度書くと思う。

ただ先に言っとくと、やる気がないのは罪じゃないってこと、モチベーションを持たせてくれるのは自分でなく環境であること、自分にモチベーションを沸かすテクニックは結構あること、というようなことを俺は信じてます。

こんなふうに予告してたんだけど、

[neutral23の日記 - やる気マネージメントは他人がするものじゃない、自分でするもの]
id:neutral23:20060506
http://d.hatena.ne.jp/neutral23/20060506

なんて記事を読んだので、反論がてら書き上げたいと思う。


以前に、やる気とかモチベーションに関して、ひっどい会話を思いついた。
シチュエーションは、高校の学園祭の準備。やる気溢れるアッパー男子と、不平不満を持ってるわけではないけど付き合いで一緒に作業してるダウナー男子(ちょい武闘派)の会話。

アッパー「ちょっと中庭から角材持ってきてくんね」
ダウナー『はいはい、よいしょっと。ゆっくりもってくるよ』
・ダウナー男子、中庭に行って、角材もって戻ってくる。
アッパー「ありがと」
ダウナー『はいはい。次なにするよ』
アッパー「えー、自分で考えてくれよ。俺指示出す役目じゃねぇし」
ダウナー『んじゃてきとーにブラブラしてるわ』
・アッパー男子、持ってきてもらった角材を加工しだす。
・ダウナー男子、暇だし眠くて大あくび。

こんなシーン。で、何かしらアッパーがダウナーに不満を持ったとして。ダウナー男子のやる気なさに文句を言い出したとする。

アッパー「だいたいさっきから、おまえやる気あんのかよ?」
ダウナー『ん?』
アッパー「やる気あんのかって聞いてんだよ」
ダウナー『やる気ねぇよって言ってやろうか?

というような会話。


「やる気がない」ことが「罪」であるような雰囲気の場って、しばしばあるじゃない。俺ああいうの大嫌いなんだわ。いや、個人的な俺の特性は、大抵の場合ノリよくてモチベーション高いんだけど、たとえ俺個人にやる気がある何かのプロジェクトとかであっても、「やる気がある」ことを強制する同調圧力をかける奴のことは非常にうとましく思う。俺がテニスサークルを3ヶ月で辞めたのも、「俺ら慶應入ってテニスとかやってホント楽しいよなっ!!??」って空気が腹の底から嫌いだったから。強制的に同意を求めんな。


上の会話例は、場の空気(がんばることが正しいとされてる雰囲気)に乗っかってるアッパー君に、アッパー君の立ち位置の根拠となっている「場の空気」を壊すことができるダウナー君が、場を俯瞰して喋ってるって状況。


これはどういう状況かというと、前提があって、それは

場の空気は、場の構成員が表面的に見せてる感情から作られる

というもの。これは俺の見なし方。


場の空気を根拠として「やる気ない」人間を問い詰めてくる奴はしばしば見かける。特に小学校のころの女子とか、「アツい教師」とか。そういう奴は、場の空気と言うものを絶対的なものか何かだと無意識的に信じ込んでしまってんじゃねーかなと思う。こっからは想像なので推論にはなってねーけど、そういう奴は、上のダウナー男子のような「場の空気を俯瞰してコントロールしうるスキルがある反抗者」にによって根拠を覆されてしまう可能性があるんじゃないかと思うんだよね。

っていうか、リアルにおける俺が結構そういうタイプなんだわ。「場の空気」に頼りながら「論理的にあんまし気持ちよくない主張」をしてくる奴に対しては、問いかけてみたりする。その場の空気、つまり「皆が『周りは皆こう思ってるんだろう』って感じてること」が、「皆が本心で思ってること」っていうのと一致してるのかを確認してみることがある。


・・・わかりにくいかな。

・・・っていうかごめん。これ場の空気の話じゃん。本題と離れちまった。


この文脈で言いたかったのは、「やる気がない」ことが理屈ヌキで「罪」だとされることがあるってこと。で、その理屈ヌキの部分に問いかけをしてみると、やる気溢れてる奴は「やる気がない」ことが「罪」であると意識してるわけではなくて、無意識的にそういう空気を感じてしまっているだけだ、と。*1

罪っていうのは責任の上に成り立つ。責任は自由の上に成り立つ。自由とは選択が可能であるということ。つまり、本人の中に選択肢がない限り問い詰められる理屈はない。「やる気のあるなし」が選択できる奴なんてそう多くはない。何か行動を「思いつく」のも意識的に選択できる行為じゃないわけで、同様の理由で責められるべきじゃあない。俺ぁ基本が甘ちゃん思考なもんでね。

つまりね、「やる気がない」ことを周りの奴は責めるな、と。だいたいもともと、相応しい態度ってのはYou vs MeでなくProblem vs Usでしょや。meとusじゃなくIとweですか?しらんそんなことは。・・・前置詞・・・。そんなことは覚えてない。ばーか!

「やる気ない」ことを責めても、なんの解決にもならんどころか、問題はより一層ややこしくなるわけさ。経験でわかってんだろこんなこたぁさぁ。


閑話休題


[neutral23の日記 - やる気マネージメントは他人がするものじゃない、自分でするもの]
id:neutral23:20060506

●自分は自分のためにしか働けない

(略)
また、もうひとつは他人に必要とされている感覚に喜び感じています。

無理やり以上を総合すると、あなたのやる気を高められるのはあなた以外にいない
 どんなエサ(含む環境)も、多少のプラスにはなるが、基本的にはやる気そのものと比較すると無視できる程度の差しかない。
  だからって環境などに配慮しなくていいなんてことは言っていないですよ。
(略)

結局は、やる気って肯定的に受け入れることだったんですね。だから、言い訳をしないで、制約をうけいれ、自分のためとおもって行うようにすることが一番よく働けるんですね。あなたにとっても、会社にとっても。否定から入ったら、言い訳を考えて、制約されている事項が多すぎると不満を言って、自分のためにならないからといって遠ざけてしまうでしょ?

あなたのやる気はあなた自身がコントロールしていて、あなたしか左右できる人はいません。だったら、あなたはやる気のある方とない方のどっちをとりますか?

チームのやる気を失わせないためにリーダーがすべきことは
 あなたの仕事は、やる気を失わせないこと
  あなたよりも上から降ってくるくだらない命令・制度からチームのやる気を守ること。
  やる気は維持する努力が必要だし、放っておいて利子を生むようなものでもありません。
  チームの間では一人のやる気喪失が伝播するなんてことも起こりえます。


この人は「やる気が無い」っていうのを、俺に比べると高いレベルで語ってる。どんなレベルかというと、理屈で自分の感情を動かせるスキルのある人間の論理を語ってる。

俺も、自分のモチベーションを理屈でコントロールするスキルには自信がある。だけどそれは、「モチベーションについて自分で考えて実践してる人間にしか通用しないノウハウ」に過ぎないと思う。普遍的とは言えない。


neutral23のような、もともとやる気があるのに会社や上司に絶望してモチベーションがなくなってしまう人ってのは、スタート地点がニートとか非モテ非コミュとか、「大学における準ひきこもり」とかと違うわけ。

何もやりたいことがないっていうのと、やりたいことがやれないっていうのでは、状況は雲泥の差だと思う。やりたいことを見つけることができて、その上でそれが実行できない状況に陥ったときに、初めてneutral23のノウハウが役に立つ。


俺はやりたいことが無いほうがよっぽどヤベーと思うので、そういう奴にも使えるテクニックを提案したいわけですよ。


なんかいつか立ち読みした江川達也の本ωに、やりたいことが見つからない奴はマグロ漁船乗れや。とか書いてあって、いい表現だなぁと思った覚えがある。

解説すれば、こういうこと。やりたいことが何もできない状況に陥ると、人間は「やばい、やりたいのにできない。」っていう危機意識が出てきて、「できない!やりたいのに!」「やりてぇー」ってなる。ハングリー精神とか何とかよく言うのは、こういうこっちゃなかろうか。食い物のストックがなくなって、腹が減って仕方ないのに「でも狩りダリィし」とか考える原始人は居ないっしょ。


「できるけどやらない」くらいなら、「できない」状況に自分を追いやっちゃったほうがいい。これは簡単に、意識的・操作的に行える。


例えば大学生がPC使って書かなきゃいけないレポートがあるのに全然やる気が出ないとする。このとき、モチベーションゼロの奴がレポートを仕上げるために相応しい行動は、YouTube攻殻機動隊鑑賞にふけることよりも、映画館行ってアイス・エイジ2を観ることだと信じてるんよね。

ノートPCなんて持っちゃだめ。メモも持たない。手ぶらで30分かけて電車に乗って映画館行く。すると、映画観てて中盤にさしかかるくらいに、「・・・つーかレポートやばくね?あっ今アイデア思いついたのに書き留められない。周りの席いっぱいで出らんねぇよ。つーことは・・・、うわっ、帰りの電車考えてもあと1時間半は作業できないじゃねーかっ・・・。ううっ。」とかいう気分になってくれるわけですよ。自分自身の感情が。

YouTubeなら5時間くらい平気で眺めてんのに。これはPCの前にいることで、「いつでもできらぁ。」って気分になってるから、危機感を感じてないんだよね。


「できない」より、「できるけどやらない」のほうが、よっぽどリスクが高いわけだ。


この考え方は結構自分の中で座右の銘のひとつになってんだよね。
【モチベの話。「できるけどやらない」くらいなら、「できない」ほうががマシ。】ってフレーズ。どんくらい座右の銘かというと、このフレーズを書いた色紙を部屋の壁に貼ってる。


このテクニックを思いついたのは最近。留年して大学のクソつまらん授業にも出席せざるを得なくなって、暇なのに何もできないなぁ、くそう。とか思ってるときに、「何もできない時間」には「やりたいこと」が強く意識されることを自分の中に発見したからでありました。「ないものねだり」症状。


さて。


このエントリで提案したのは、モチベーション高めるテクニックのひとつにすぎない。しかも自分でしか効果を確認してないやつね。江川達也じゃ権威にならねーし。他にもモチベーションをあげるテクニックは沢山あるだろうから、明日の帰りにでもちょっと本屋よって、ビジネス書でも立ち読みしてみたらいいんじゃないすか。コペル君のおじさん*2とかもすんごいいいこと言ってるし。

あ、あと思いついたことだけメモまでに書いとく。

引用したneutral23のエントリにもちょっと書いてあったけど、「人のため」にやるのもモチベーションを切らさないコツだと思う。

社会を見てても、やっぱ「人を喜ばせたい人」のが「名を上げたい人」より成功するように見える。モチベーションが循環して連鎖するのが前者で、モチベーションにゴールや限界があるのが後者だと思うわけよね。


さて最後にタイトルの説明。
結局自分でモチベーションを管理してんじゃねーかって言われるかもしれないけど、自分ではできないというのはどういう意味で使った表現かというと、「自分で思うだけじゃ無理」「ていうか価値観なんてアタマの中だけじゃ簡単に変えられないだろ」ってこと。電車とか映画館のような、作業可能性がなくなる空間という道具を用いれば、自分のハングリー精神をうまく利用できるかもしれないよ、っていう提案をしてみたわけ。

空気の話は俺の趣味だった。だけど消したくない。執着なくせないのは精進が足らないね!


ハァ。明日のプレゼン準備しねーと。はははー・・・。

*1:まぁ、やる気あるなしに関しては実は、本来的に理屈が必須ではないんだよね。理屈じゃない部分が胸を打つわけだし、感情は理屈じゃ動かないからね。しかも人間の判断の一番の基準は感情。なんてこった。魅力ある人間は理屈ヌキの行動をとって人の胸を打つわけです。複雑すぎ。

*2:君たちはどう生きるか岩波文庫

はじまりは、「マジメ=ダサい」という偏見、かも。メモまでに。

NHK眺めてたら平原綾香の曲が流れてきて、昨日のエントリのタイトルを少し見直してみた。
[kercの日記 - 「頭がいい=見た目が悪い」という偏見、「実行力≒能力」という感覚]
http://d.hatena.ne.jp/kerc/20060429#1146295041
読み返すと、コメント欄でしかタイトルの説明してないな俺。くそ野郎だなぁ。

kerc
『もうひとつ。
タイトルの
「頭がいい=見た目が悪い」という偏見
っていうのは、自分が個人的にずっと抱えてたバイアス。他の奴が無意識的にこういう偏見を抱えてるかはわからんけど、高偏差値とルックスの悪さに感覚的な関連づけをしてるひとはある程度居るんじゃないかと思い込んでるんだけどどうなんだろう。』

この偏見に至るには段階があったんじゃなかろうかと思って。


NHKって、なんとなくダサめのミュージシャンをやたらと起用するじゃんか。なんでそういうイメージつけようとするのかなぁーとか考えてみた。
*公的な性質の強い局だから、まじめなイメージをまといたい
*ダサいほうが年いったカタガタに安心感を与える
*云々・・・


と少しだけ考えてみたところで、あ、と思った。ダサいとマジメが混同されてるんじゃなかろうか。と思ったわけ。
ちょっと大風呂敷広げて推論にもなってない論理を展開してみるぜ。時間ないのに。


高度経済成長期のって、マジメであることが生産量の増加に直結した時代だったんじゃないかと思うわけ。今みたいに新技術がバカバカ生まれたわけじゃないし、わき目を振らず同じやりかたで仕事を延々こなしていくことで、仕事量と比例して生産量も増えてた。
こーいう背景があって、「マジメ=朝から晩まで同じことを黙々やる=出来がいい」っていう考え方が浸透して、さらに「同じことを黙々やる=自分の見た目の工夫もしない」みたいなことが同一視されてきて、結果「マジメ=ダサい」につながったのではないかと。
で、「マジメ=出来がいい」っていう感覚と連想ゲームした結果出来上がったのが、「頭がいい=ダサい」という偏見であると。そう言いたい。自信なさげにそう主張したい。
人間ってすぐ、必要条件とか十分条件に過ぎないものを必要十分条件にすりかえて信じ込む癖があるからなぁ。


まぁそもそも、このハナシは俺個人の「頭がいい=見た目が悪い」という不思議なバイアスからスタートしてるので、俺以外の人間にとって価値があるのかよくわからないけど、自分としてはモヤモヤがスッキリして気持ちよかったわけ。そんだけさ。


あと、ひとつだけ書き加えておくと、学生運動*1とか結構顔出してて感じる俺の経験則として、「ダサい≒頭悪い≒使えない」のほうがよっぽど成り立ちやすいよ*2


あ、なにげにこのエントリ5分で書けた

*1:ボランティアとかイベントみたいな優等生的なやつな。共産主義とかじゃあねぇよ。

*2:もちろん見た目イケてないけど凄いヤリ手の奴は居るけどね。

「頭がいい=見た目が悪い」という偏見、「実行力≒能力」という感覚。

*このエントリに限り、はてなブックマークはココ↓で。
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/kerc/20060429%231146295041


そして「やる気がないのは本人の責任じゃない」ことについて。


俺も読んだよ、AERA'06.5.1-8 No.21合併特大号。「東大生の6割は美人である」、「恋のドラゴン桜大作戦」、「アルファブロガーってなんだ」。
どんだけキャッチーな記事なんだろう、って思ったね。こりゃひどいω はてな界隈のひとたちが今回のAERAに食いつくのも当たり前だわな。
ただ、アルファブロガーについての記事は、「情報考学の橋本大也さんはもの凄く人が良さそうな顔してるなぁ〜」って思ったくらいで、全然おもしろくなかったから、残りの二つについて書いてく。


このエントリの結論として何が言いたいかというと、今のように情報が氾濫している状況においては、頭のよさよりも実行力のほうが成果につながり、評価につながるんじゃないか、ということ。
最近話題の文化系女子うんぬんとか、非モテ非コミュとか、人事課は高学歴を採用しろとか、そういうハナシに共通する(かつあまり指摘されてない)ような内容にできたら俺非凡。でも多分できないね。


まずは東大生の話から。概要としては、「学歴の高い女子は親の経済力や学歴が高く、自信と意欲がある」、ということらしい。
特徴的なサンプルとして、(早大生(22)の経営する)芸能プロダクションに所属する東大生女子を例にあげ、インタビューなんかをしながら3ページにわたって特集してある。以下、インタビューを中心に引用。あんまし個人を特定できるのもナンだなーと思って中略を乱用してるけど、受ける印象を意図的に操作したりはしてないつもり。だから勘ぐらないように。
あと、引用しすぎで翻案になってるとか著作権が云々とか朝日新聞社から言われた場合には、気づきしだい即効でこの記事は引っ込めます。ていうかこういう記事が好きな人はこのエントリ読んだ後AERA買いにいけばいいじゃん。コンビニにあるよ。


さて。


ひとりめ。

「自分のエネルギーのベクトルが向きたい方向に向いた結果、今の私がある。知らないことを知るのが面白くて勉強するのも、どんなファッションがはやってるのか興味を持つのも、おいしいケーキが食べたいって思うことも、みんな私にとっては同じなんです」

このコなんですが、実は浪人時代の予備校が同じで、そのころから目立ってたから一方的に知ってた。すっげー成績いいのにオシャレですげーなぁ、とか思ってたなぁ。

一日17時間も受験勉強し(中略)
キルケゴールなどの哲学書を読みあさったことも(中略)
美容健康のためデトックスにはまり(中略)
何でもとことんのめり込むタイプなのだ。


ふたりめ。

好奇心旺盛という点は、(中略)さん(20)も同じ。

「何でもやってみたい(中略)いろんな体験ができそうだから(職業名)もいいかなって思います」

イベントコンパニオンのバイトで、路上でチラシ配りもする。「東大生たるものがそんなバイトをするなんて」などと、頭でっかちに行動を抑制することはない。


この記事ではほかに、『下流社会』を書いた三浦展が、

女性差別が強まり、勉強も仕事もできるし、容姿もきれいでモテる・・・・・・なんでも揃った女性がでてきた。代表格が美人東大女子なんでしょう」

とか言ったり、データとして(サンプル数は凄く少ないけど)

CanCam」を読んでいる人の割合は全体の13.5%。だが、「ダイヤモンドやプレジデント」などの経済誌読者における「CanCam」の読者率は、全体を母数にした場合を上回る約3割に上った。つまり、経済など硬派ニュースに関心がある人は、ファッションにも興味がある。ジャンルを問わず総じて意欲・関心が高い層、これこそが最近の東大女子の層と重なるというのだ。

なんてのを示してる。


意欲っていうか、行動力っていうかね。行動に移す力っていうか。頭がいい人は合理的判断から実行力が強くなる傾向にあって、それは見た目にも現れてくるんじゃないかと・・・。最後にまとめるよ。


はい、以上が東大生の話。


次は恋のドラゴン桜の話に移ります。長いなぁと思ったら「あとで読む」か、くらいに思って、二度と読むことはない、っていう選択肢もおすすめです。


こちらも引用していきます。


非モテ非コミュと呼ばれるひとたちには耳が痛いかもしれない、記事の筆者が同僚女性から言われたらしいきつい一言から。

「恋愛批判をしたいなら、まずモテてから言ったらどうですか。(後略)」

俺がこの筆者に救いがあるとしたら、この次。漫画『ドラゴン桜』を渡され、膨大なハウツーを間に受けて勉強する高校生の姿を見て、

偏差値30から東大合格が可能なら、恋愛でも偏差値30からの脱却はできないか。「参考書」を買い、「合格者体験記」に学び、「テクニック」でモテへの最短コースを歩めないか。それなら頭でっかちの私にもできそうだ。

ここ。「私にもできそうだ」ってとこ。偉そうにメタな解釈をするけど、「できそうか」が問題なのではなく、「できそうだと思って実行する」とこが大事なんだと思う。
この先は延々とテクニック紹介が続く。

キーワードは「清潔感」。そんなの当然だろう、という人は辛い。モテない男性はそんなことすら知らない。

知らないっていうか、知ろうとしない結果情報に遭遇しないんだと思うね。
以下、清潔になるためにいろいろアドバイスを受け、

さすがにここまで言われて、モテるにはまず「今のままの自分」を捨てなければならないと気づいた。

ある女性には、「新宿伊勢丹のメンズ館に行け」とアドバイスされた。いっそ店員にすべてをゆだねろという。

このあと筆者はそれを実行するんだけど、こんな行動、筆者はプライベートではやらないような気がする。記事を書かなければならないというキッカケ(もしかしたら言い訳)があるから実行したように思うわけ。


この先には会話のテクとか、デートの段取りとかが具体的に書いてあるんだけど、別にそんなの書いても仕方ないから書かない。読みたい奴は本屋行って買うなり立ち読みなりすりゃいい。


筆者はキッカケと言い訳があって、ハウツーに従うのは恥ずかしいとかそういう思考に邪魔されることなくとにかく実践してみて、なんだかんだで見た目も会話も改善されたそうな。
非モテとか非コミュである自分が嫌いなひとたち、どう思います?

こうして3週間が終わった。実行できなかったテクは数知れず。恋愛の合格圏内に入ったかどうかは、自信がない。だけども、自分が変わらなければ、入試すらも受けられないことはわかった。そして、「変わる」ことはそれほど苦痛でもなく、意外と楽しいことにも気づいたのだ。

だとさ。


そういえば、以前に
[Just do it 行動しないことで発生するリスク : akiyan.com]
http://www.akiyan.com/blog/archives/2006/02/just_do_it.html
なんていうエントリがあったことを思い出したなぁ。


ハウツー本を「マニュアル人間にはなりたくない」とか言ってきらったり、「恋愛の必勝本」なんてものを見たら吐き気をもよおすような人は大勢居るみたいだけど、別に、ちゃんと真心もってる人がその真心を効果的に伝えるためにハウツー本を買うのは非難されるこっちゃねぇだろ、とか思うね。ほんと思う。


とにかくね、ほんと、実際にやってみることが大事だと俺は信じてるわけ。考えナシに行動するのと、いろいろ情報を集めて吟味した後に実践するのは全然ちがうことだし。
東大生の話に関しては、経済的な要因がからんできてるかもしれないけど、勉強にのめりこんでみるっていう実践を通して、あとファッションもわからないなりに試してみる、わからないから雑誌を買って研究してみる、っていう実際の行動を通して、ああいう「成功」っぽい状態になってるわけ。
モテだとかコミュだとかだって、恥ずかしがらないでアマゾンでハウツー本を大量に買ってみて、素直に受け止めて価値観を変えて、できそうなテクニックやコネタから試してみる、そういうことをやってみるのが大事なんではなかろうか。


そういう意味で、みうらじゅんが提唱した「プレイ」の概念はイイ。例えば「親孝行プレイ」とかいって、普通じゃ恥ずかしくてやりづらい親孝行を、「悪ふざけの一環として、親孝行な息子を『演じてみる』」という観点で実践してみたりする。そういうのっていいなぁ、って思う。こういう、実行力を補助してくれる考え方っていいね。なによりマジメくさってないのがいい。


・・・でまぁ、実は実行力の前に大事なのはモチベーションなんだが、それはまた今度書くと思う。
ただ先に言っとくと、やる気がないのは罪じゃないってこと、モチベーションを持たせてくれるのは自分でなく環境であること、自分にモチベーションを沸かすテクニックは結構あること、というようなことを俺は信じてます。


あと、この変なテンションは宗教とか興味ないよ。俺はただの、糸井重里とか近藤純也のよーになりたい慶應大学の留年生です。

###

レイアウト変えたらはてなブックマークのURL変わっちまった。
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/kerc/20060429%231146295041
コメントとかはここによろ。

日本のWeb2.0企業の広告。mixiとGREEとはてな。

GREEはよその宣伝する前にじぶんちのシェアを広げて欲しい。なんかmixiはあまりにでかくなりすぎて、ユーザーの要望に気軽に答えらんなくなっちゃってる感じで好感が持ちづらくなってきた。その点GREEはいつまでも変質しつづけてくれそう。気のせい?


さて、
[切込隊長BLOG(ブログ) - GREEはてなが口コミ広告で提携]
http://column.chbox.jp/home/kiri/archives/blog/main/2006/04/25_071135.html
だけども。

http://www.nikkei.co.jp/news/tento/20060425AT2E2400Y24042006.html


 絶対にやっては駄目なこととしては、回線いっぱい引いていろんなプロバイダとADSL契約して広告契約が取れた商品や競合メーカーの商品の単語をまぶした自動文章作成ソフトを出会い系などのサクラテンプレを大量に持ってる業者が転がして馬鹿みたいに書き込みして相互リンクいっぱい貼って大儲かりなんてことである。やっちゃ駄目だからな。

いや別にこんなネタはどうでもいいんだけど。


このリンク先はここ。
[NIKKEI NET:ベンチャー ニュース]
http://www.nikkei.co.jp/news/tento/20060425AT2E2400Y24042006.html

新手法の「グリーはてなクチコミプロモーション」は、会員の日記に「A社のB(商品名)が欲しい!」といった書き込みが増えることを促し、商品の知名度を上げる仕組み。


ああ、これって昔にコピーライターが全盛だったころの広告コンセプトだよな、って思った。宣伝を2次的なものととらえてブランディングを優先する。つまり、「その商品を持ってたらちょっと羨ましがられる」状態を作ってしまうための宣伝広告。


・・・みつけた!
[ほぼ日刊イトイ新聞 - 広告サミット]
http://www.1101.com/summit/2006-02-02.html

ぼくの作った広告が
いちばんたのしまれていたのは
80年代でしょうけど、
当時の広告の基本を簡単に言うと
「買ったお客さんがいい気持ちになる」
ということだったんじゃないでしょうか。
「買ったお客さんが、
 それを買わないまわりの人からも、
 あ、それいいね、と言われること」
が重要だったんですよね。
持っていたり使っていたりするそのものが、
評価されるとか、うらやましがられるとか
いうかたちで受けいれられると言いますか


個人的に糸井重里のことは腹の底から大尊敬してる。この記事を読んだときにはソンケーレベルがさらに一気に3くらい上がった気がします。最大レベルは255だぜ。たぶんなぁ。

コンテンツにパスワードを要求して、パスワードはCMの中で発表すりゃあいい。

広告ってビジネスモデルが既に好きじゃねぇけど。だって新聞広告が発明されてからホントなにも変わってなくね?コピーライターは大好きなんだけど、広告っていう、この抽象度の低いように見えるモデルを、一般化して別の具体系を作ろうとしてない広告業界は、なんだかとてもクリエイティブじゃないように見えるんだけど気のせいかのぉ。


別にここで提唱することがえぽっくめーきんぐ*1ですとか言うつもりないけど。ていうかラジオなんかではよく使われてる手法だと思うんだが、キーボードを目の前に置いた状態でコンテンツを観るのが普通になってきたこの時代に、このモデルが目に付かないのはおかしいと思う。リスクそんなにないと思うし。


めんどいので以下、携帯のメモ帳に書いたののコピー。
ここで引用記法使うの変か?ω

無視され得ない広告。
ウザいし大嫌いだけどね、こういうの。無料TVとかは、「注目してもらう」ことをコンテンツの提供と交換すればいい。いまはCMスキップで対処できちゃうけど、コンテンツにパスワードをかけて、そのパスワードはCMのコンテンツに含まれてる、みたいな。
CMで「これからの牛乳はメグミルク!ほかには負けない甘さと濃さが自信作!」とか言って、そのあとコンテンツが自動的には始まらず、パスワード画面みたいなとこで「牛乳と言ったら、これからは『○○○○○』が圧倒的な『○○○○○』ブランドのが、いいのかも。」って入力フォームになってて、そこで正解した場合にコンテンツを見られる。間違えたらもっかいCMか、答えを教えてあげてもっかい入力させるか。


問題があればそれに対して解決策を出せばいいなり。このメモ書きながら「これ自動記入ソフトが出回って対策されそうだな」って思って、「それならそれに対策すりゃいいや」と思って、文字数を同じにしたり、日本語を理解してないと答えられない様式にすりゃいいや、と思って調整した、と思って。

*1:非常に革新的でひと時代つくるような性質を持ってるってこと